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社会的投資の行方

およそ40年前、国際連合(国連)で働きたいというおぼろげな希望をいだいていた。国際政治を学ぶため渡米をした。米国では、レーガン大統領がSDIという国防策を打ち出した。SDIとは、Strategic Defense Inititativeのこと。ロシアから発射される核弾頭ミサイルをすべて成層圏で撃ち落とすという防衛構想だった。別名スターウォーズ(Star Wars)という。大学近くの映画館では、スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還が上映されていた。

そのような構想が大学の授業中、ほんとうに議論されていた。政治学の授業を担当する教授は、Dr. Raymond Tanter。統合参謀本部(Joint Chiefs of Staff)のアドバイザーを経験していた。わたしは、どこかこの授業が気に入っていた。並行して国際経済の授業もとって、ホワイトボードに書かれるチャートを熱心に書きとった。

帰国後、国連で働くための勉強をした。当時の国連の取り組みは大きく三つに分けられていた。核軍縮、経済開発、人権擁護であった。核軍縮は、米ソの核弾頭の増産、配備に歯止めをかけるというもの。経済開発は、アフリカにおけるベーシックな生活を支援するための経済支援。人権擁護は、人身売買を撲滅し、難民を擁護することであった。

あれから30年後の2015年、国連総会はSDGsを採択。持続可能な開発目標として、17の世界的目標、169の達成基準、232の指標を提示するとある。ただ、これはあくまで目標であって、指標というのは評価のための物差にすぎない。問題は未解決のままである。

これは、TOEIC受験にも似ている。英語の実力をつけるために、TOEICでいい得点をとろうとする。そしてスコアを700、800、900点と伸ばしていく。人によっては、900点以上をとっていくことを目標とする。得点できたならば目標達成とする。問題なのはいつまでも取り組むのかという時間軸があるか。最短でスコアアップする方法を見つけることである。

このふたつは、目標が目的化してまっており、目標達成までの時間軸があやふやなところがいけない。そしてこれらに向かってどう行動するのかが明らかでない。何をいつまで続けるのかということであろう。

2月8日、午後6時から、2時間ほど社会的投資についてオンラインイベントがあった。多摩大学の学長が基調講演のなかで歴史的考察をし、これまでの資本主義のまとめをした。行き過ぎたお金儲けにより、貧困格差は広がった。

二つの暴走が起きた。ひとつは、金融工学。ウォールストリートを拠点にヘッジファンドによる大儲けが例にあげられていた。1980年代後半には、「ウォール・ストリート」という映画が作られた。マイケル・ルイスのLiar's Porkerがベストセラーになった。

もうひとつは、GAFA(FはMetaに社名変更)によるデジタル革命。シリコンバレーを拠点に次々とM&Aを繰り返し、巨大化していった。GAFAの時価総額合計は、すでに日本の株式市場全体の時価総額を上回っている。アップル1社だけでも330兆円($3trn、Y/$=110)に達している。日本のGDPは540兆円。

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Source: The Economist, "Don't look back in anger",

これを背景に一部の特権階級に富が集まり、下には富が分配されない。その結果、アメリカでの貧困層はさらにひどくなった。日本でも中間層が貧困層に向かってきている。そんなこともあり、経済格差、特に貧困層を救済するのが急務になってきた。イベントでは足立区のこども食堂という社会活動がとりあげられていた。年収200万のシングルマザーのこどもたちが食事をとるために利用するという。

さて、このイベント後に二つほど疑問がわいた。ひとつは、形式面。一体、いつまで新しい資本主義について議論を続けるのだろう。もうひとつは、パネリスト、視聴者が社会的投資をやっているのかどうか。このnoteでは、この2点についてまとめてみます。

まず、新しい資本主義とはどういうものか。そのイメージ、というか観念を議論するセッションがあった。ここでは、視聴者にこれまでとこれからの対比のおいてどのようなイデオロギー(観念)を持たなければいけないのか。やや思想めいた話である。主義というからには、お金儲けをやりすぎない、暴走しない、貧困格差をこれ以上広げない、富の再分配を不公平にしない、といったことがおぼろげながら浮かぶことであろう。

基調講演の中で指摘のあった資本主義に反対するような意見はほとんどなかった。ただ、これまでの製造業を土台にしたビジネス、そこからくる人事制度のままではいけないという意見があった。そうなると予想されるのは、男女平等ということであろう。

後半のセッションでは、新しい資本主義を実現するための金融システムづくり、それの向けての問題提起はされていた。ここでは、リスクとリターンを伴う株式投資にどうやって社会的要素を加えていくのか。社会的要素を数値にすることは難しい。それが非財務指標というものだ。

例えば、気候変動を抑止するための再生エネルギー。その取り組みに積極的な会社(銘柄)にESG投資をする。脱炭素銘柄に投資することでどれだけの社会的価値があるのか。なかなか数値では測れないだろう。

エシカル消費、つまり、倫理的消費を促すために、プラスティックでなく紙を代替として使う。マクドナルドのストローを紙にする。スターバックスのアイスコーヒーを買うのにタンブラーを使う。プラスティックの使用を制限する。フェアトレードとしてコーヒー豆の生産地に市場価格よりも高い値段で購入をする。そういった取り組みはプラスに評価できよう。それらに対してESG投資をする。ただ、そのリスク、リターンをどう数値は把握できるのだろうか。

炭素税をどのように実施するのか。付加価値税、つまり消費税のようにあらゆる経済活動において一律に料率を課すのか。たとえば、市中にあるあらゆる製品に2%の炭素税を課す。ところが最終製品になるまでに材料を使って工場で中間財として加工される。そして最終製品へと仕上がり、流通される。その工程すべてに課税するとなると重課税になろう。

インパクト会計について議論がされていた。財務諸表(BS、PL、CF)にのっている数字は費用(コスト)を表したものである。ほとんどが実際に使ったものが勘定科目に計上される。人ですら費用として計上されている。リスクや期待リターンを表してはいない。

これらは問題提起としては納得できる。ただ、問題提起の数が多くなりすぎると身動きがとりにくくなる。視聴者はどこから手を付ければいいのか。優先度を知りたくなる。つまり論点整理をしなければならない。こういった議論では、パネリストが思い切った解決策を出さないと進まない。それがないとあれもこれもとなり混乱で終わってしまう。

一体、いつまで議論を続けようというのだろうか。パネリストはこれからどのくらいパワーポイントのスライドを作成するんだろう。そのために表計算ソフトに数字を打ち込み、グラフ化して分析をする。そのためにどれだけパソコンの前に座っているのだろうか。そして視聴者も。延々と議論で明け暮れていく。確かにこれは無料のイベントであり、多分に広告や宣伝を含んでいる。

もうひとつは8人のパネリスト、そして視聴者500人のうち、ほんとうに社会的投資、いわゆるESG投資をやっているひとが何人いるのだろうか。わたしの考えでは、ほとんどの人がESG投資はしておらず、これからもやろうとはしていない。それもそのはず、ESG投資の注意点を議論することが残っているからだ。識者は、主に三つの注意点をあげている。

ひとつめは、ESGファンドが投資家に課す取扱手数料が他のファンドよりも高いのではないか。ESGという要素を組み入れるため、銘柄の選別や選定に時間と手間をかけている。管理コストがかかることが理由でもあろう。一般のファンドよりも手数料は高い。実質リターンはその分、低くなってしまう。これはNYUのスコット・ギャロウェイ教授も指摘している。

ふたつめは、株式市場でのキャピタルゲイン、つまり値上がりをしたあとに売却をしてはじめてリターンが確保される。そのリターンが確保できるまでのタイムラインが通常のファンドよりもかなり先になってしまう。8年から10年くらいはかかるであろう。ESG投資は短期ではない。

株式ベンチマークである日経インデックスを上回ることができるのか。善いことをしているにもかかわらず、インデックスファンドより利回りが低くなってしまう可能性すらある。

みっつめは、ESG銘柄という指標がやや怪しいというところにある。なにをもってESG銘柄なのか、どこが決めているのか。指標はマトリックスになっているという。それが認定されているのか。統一見解はない。そういったところでESG銘柄に大量のお金が集まっている。これは投資というよりはプール(ため置き場)という見方もできる。量的緩和によりお金の行き所がない。

さて、社会的投資はどこに向かうのか。わたしはまたしてもこの流れにブレーキをかけるのではないか。金融とデジタル(IT)がまた暴走をするのではないかと懸念している。

金融はこれまで株式市場でまがいものを生み出してきた。ファイナンシャル・エンジニアリングと称して。80年代の金融商品、2000年代のモーゲージを背景にしたディリバティブ。実体のない金融商品にお金のない人たちが賭けをして大儲けをした。そして大損をもたらした。投資銀行の倒産があり、それに税金を使って救済した。

一部の人にしかできないヘッジファンドのようなものがこれからも出てくるのではないか。アメリカのMBAでしか理解できないもの。アメリカのビジネススクールというところはファイナンスを勉強するところである。卒業後、一部の富裕層だけが豊かになっていく。一部のラッキーな人たちにしかできないM&A。

M&Aは、大学による形式教育では学べない。早稲田のファイナンス学科でも十分にデューデリジェンスを教えていないという。そのようなM&Aが日本でも増えていくのかもしれない。東洋経済によると30歳の平均収入のトップ10にM&Aの会社が4社がはいってきている。

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Source: The Economist, "Global M&A activity by nationality"

もうひとつは、デジタルの普及によるAI革命がある。このAIが普及することにより、多くの人、特に単純な知識労働者の仕事が奪われるのではないかという懸念がある。ノースカロライナ大学の識者の話では、AIとロボットによってアメリカ人の多くが仕事につけなくなると予想をする。そうなると仕事をしていないひとは給料がはいってこなくなる。

忘れてはならないのは、日本では、国民一人当たり1千万という借金がある。これはコロナ過になる2年前の数字。コロナにより緊急出動として80兆円の予算が組まれた。1兆円増えるごとに一人当たり8万円の借金ができる。80兆円ということは、ひとり64万円の負担増。わたしのような家族3人では200万円の負担増。増税はある。コロナが長期化すればさらに負担増になる。

40年後の今日、国連の採択したSDGsは、目標としては認知されている。そして達成基準や指標も整備されようとしている。ところが行動はどうなっているのか。実装をしていかなければ、目標は形骸化し、指標は物差しで終わる。

40年前は、目標は3つだった。それが17に増えている。いまから30年後の2050年になったとき、相変わらず貧困格差はなくならず、男女間格差も是正されない。そして気候変動の中で夏は暑く、冬は凍えて過ごす人が増えるかもしれない。新たな目標ができて、17から50になったというのでは、号令だけでなにも変わらなかったということであろう。