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企業経営にまだ残る「しがらみ」

アメリカ留学から帰国してから外資系企業ばかりで17年を過ごした。その最初の会社ではじめて不思議なことを聞いた。若い女性がどうもなにかで悩んでいるらしい。仕事に支障が出ているようだった。当時、わたしは霞が関にある新霞が関ビルの19階で働いていた。そこには証券会社の調査部があって20人ほどのアナリストがいてなにやら株式投資についてのレポートを書いていた。わたしは経済レポートの担当だった。

その女性がいうにはどうも仕事がうまくいかない。それは周りの人との人間関係がうまくいっていないということだった。外資系証券会社で人と人との良好な関係などあるわけはない。摩擦と闘争の真っ只中にある市場を相手に日々、株式市場から巻き上げる取引手数料を上げて儲ける。それだけしかないのだ。市場が上がって推奨した株価が上がれば投資家は喜ぶ。その逆であればこてんぱんにどなられる。それが証券会社というものだった。

しばらくしてその女性は辞めていってしまった。耐えられないようだった。その後17年外資系で働いて人間関係という言葉を聞いたことはなかった。飲み会はあるもののうわべだけの取り繕いに過ぎなかった。会社のいつまでも遅くいることがよいわけではない。付き合い残業というのもそれほどなかった。しかし忙しくなれば全部ひとりでやらなければならない。だれも助けてはくれない。

ところが外資系企業ではどうもしんどくなってきた40代の半ば。給料だけを頼りに仕事をすることより日系企業で働く選択肢を持つようになった。しばらくするとわたしの苦手ななにかお付き合いめいたことばや活動が業務を覆い始めた。同期やら先輩やら学歴やら。そんなところが話になったこともある。特に三菱商事というのはなにやら学閥めいたものがあるのではないか。東大、一ツ橋、慶応、早稲田。その4つの大学しか採用しない。そんな誤解もしていた。

オンラインイベントで大企業の再建について話があった。この記事をとりあげた。そこでは日産自動車のもと幹部がしがらみをとることに成功して経営危機から救ったというストーリーが描かれていた。わたしはこの話題を聞いていて、まだ、しがらみを断ち切るという話題が記事になるのかという前提で参加者の話を聞いていた。

しがらみというのは関連企業とのお付き合いのことをいう。お付き合いのある企業とは仲良く飲み会をして世間話をする。場合によっては家族の構成や大学の同期のこと。サークル活動やクラブ活動まで。そして実家はどこにあるのか。あるいは結婚相手はどういうひとか。子供は何になりたいか。そんなことまで話をする。これがお付き合い、というか信頼の土台になる。

わたしはこれがしがらみに化すとどのように経営を圧迫するかというのは想像するしかない。ただ、このようにお付き合い経営を優先してしまうとお付き合いがあるからというところから馴れ合いになる。いい加減な部品を組み立て企業に納入しても文句はいわれない。あるいは品質の低い部品を高く売りつけるようなこともする。そこには市場原理というものを持ち込まない。

人を知っているから大丈夫だろう。そんな馴れ合いが生まれる。そうすると悪い部品、あるいは市場価格よりも高い値段で納入してしまう。経営努力をしなくなるというものだ。そういったことは日本企業ではよく起こりうる。

しかも日本企業は関連会社であればそこである種のコミュニティを形成する。経済的なコミュニティではなく社会的なコミュニティを形成する。日産自動車であれば下請け企業として日産の看板を掲げる。そこでそういったのれんの下で外の世界を遮断してしまう。他の自動車メーカーには目を向けることもなく親会社一本の取引で経営をする。

そこにしがらみができてそこからくる弊害や悪を断ち切ることができなくなってやがて高コスト体質になり経営危機になる。そういったものであろう。

日本企業、あるいはアジア諸国の企業であれば、ある程度の関連や関係をもしつつ商売をすることは間違ってはいない。むしろ書面上の契約をいちいちかわすことなく部品を供給すればいいであろう。

しかしながらまだこの「しがらみ」というのがあることに驚く。東証プライムにいる企業にはもはやしがらみなどといってられる場合ではないだろう。そこには7割くらいは数字と論理を使って経営を説明できるようでなければ株主が承諾しないであろう。企業は業績を上げることが第一であろう。そこにしがらみがはいることはないはずだった。

わたしはどうも日本企業、あるいは日本人だけで集まる組織において何かしら物事を隠す。都合の悪いことはしゃべらない。なにかしら改ざんをし、発覚しなければいいだろう。そういうことがはびこってしまう組織というのはあまり感心しない。どうも長くいる人。年長者。よく組織内にネットワークを持つ人だけが意思決定をしてしまうことになりがちだ。

日本人が集まるとどうも感情が優先する。90%の物事は好き嫌いで決めているのではないか。居心地がいい、とか、印象がいい。好印象だ。だから経営にとってそちらをとろう。そういう雰囲気があることに抵抗があった。そうなるとお付き合い、人間関係による経営。むしろ昔の精神論に戻ってしまうのではないか。

しがらみを断ち切った後はドライな業績主導の経営にはなろう。それもいいのかどうかはわからないが、しがらみだけは根こそぎ取り払ったほうがいいであろう。経営に人間関係を持ち込む。それは仕事をやりにくくするのではないか。特に若い社会人にとってはたまったものではあるまい。