英語学習は35歳までに終える

33歳でアメリカから帰国した。これで英語圏から離れる。そのことにちょっとした戸惑いと安心があった。戸惑いとはようやく英語圏のことがわかりはじめたから。これで終わりにしていいのか。安心とはどんなに英語圏にいたとしてもアメリカ人にはなりきれないだろう。言葉の壁というものは消えない。さてこのまま英語学習は続けた方がいいのか。どこまでも中途半端のようだった。

これだけは確かだった。20年以上英語の勉強はした。もう受験のためや学校の試験のための英語学習はやめよう。いや、やめたくなった。

わたしは外資系企業に就職が決まっていた。渋谷にある日本コカ・コーラだった。そこで1年くらいしてから社内でTOEICを全員が受けるようにと辞令があった。試験は社内会議室で受けれるという。TOEICってなんだろう。わたしはよく知らなかった。初めて聞くような試験だった。ただ、ざっと過去の問題を見たところわざわざ試験対策をするまでもない。なんの準備もすることなく受けた。

後日結果が送られてきた。けっこうできた感触はあった。935点。これってどうだったんだろう。どう評価すればいいんだろう。満点は何点なんだ。後で聞くと990点という。そうか、じゃ、それに向けてやればいいのか。一瞬、そう思ったが立ち止まった。55点あげるのにどんな意味があるんだ。おそらくもうわたしには点数をあげるだけの意味はない。

多くの人が英語学習をしている。いろいろな目的があろう。海外移住、海外留学、そして海外旅行。主に英国やアメリカに向けてだ。中には欧州やオーストラリアというものもあろう。人の関心事はさまざま。専門をさらに磨くために大学院に行く。海外に移住するため生活全般のことを英語でできるようにする。海外旅行であれば交通機関やホテル、あるいはスポーツや音楽といったことまで対象範囲が広がる。

ただ、わたしはいろいろな目的はあろうが英語学習は35歳までに終えた方がいいと考えている。ここでいう英語学習というのは意識して英単語や熟語を覚えてボキャブラリーを増やすこと。さまざまな構文を学習してそのために時間を使うこと。またヒアリング、読書、そして映画視聴などから英語を学ぶこと。そういうことはそろそろ卒業したほうがいいであろう。

35歳までに英語をある程度ものにしておかなければそれ以降はやってもしかたがないということだ。まったく止めるということでもない。

それは以下の理由による。まず英語は35歳になったのなら学習するものではなく前提となっていなくてはいけない。つまり英語を使って何かをすることになっているはずだ。それはどういうことか。

まず仮説をつくる道具として身に着けていること。仮説とははい(Yes)、あるいは、いいえ(No)で答えられる設問のことをいう。これが明らかに日本語と違う点である。アメリカの大学院でいくつも状況設定からどれだけの問いがつくられるかを学ぶ。その問いをいかに磨くかということを学ぶ。

まさにこの仮説構築力を学ぶのが大学院の目的であるといってもよい。どれだけたくさん問いを持ち、そこからどれだけに絞りこむことができるか。さらにそれをどれだけ深堀できるかというのが英語を使う魅力であろう。まさにイシュー(課題)がどれだけ具体的になっているかということが問われる。問題解決のための道具であることだ。これが仕事で役に立つはずだ。

次にそれを賛否に分けて人とディベートをする。そこに英語に妙味がある。これは日本語ではできない。日本語で議論をしてしまうとどちらかが正しくてどちらかが間違っているということがはっきりしない。切れ味の悪い話になることが多い。これは日本人の使う日本語と文化によるところが大きい。しかし英語で議論をすると切れ味がとてもいいことが多い。

それは言語として論理性が日本語よりもすぐれているところにある。一体、どっちなんだというときに決めるのがわかりやすい。ビジネスにも向いている。二項対立の形式をとりどちらかに一旦軍配をあげさせることができる。こういった形式は日本語ではなかなかとりにくい。

日本語は感じる言語であり、日本人は感傷的であることもある。ほとんどが感情に支配されて動く。そのため論理的ではない。英語は論理的だ。特にアメリカではそうなっている。日本人は数学はアメリカ人よりできるが数学を使って物事を決めない。

最後に英語学習をやめよというものではない。英語は聞く、読む、見る。さまざまな方法を通して情報を得る道具として使える。特に学術研究においてはまず英語で発表される。日本語ではほとんどないか遅い。経済学やITの先行論文はほとんどが英語になっている。

いち早く最新の話題を入手するには英語が一番よい。学術論文には仮説が必ず含まれている。仮説を証明するものが雑誌に掲載される。理論の証明の手法が統計を使う場合が多い。なので形式は決まっている。そういったところを英語で情報収集するメリットが高い。

そういう特質があるため35歳を過ぎてからさらにボキャブラリーを増やすとか文章を学習するということはしないほうがよい。

むしろ英語の原文をたくさん読む。そこで文章の流れをつかむ。ニュースや映画よりも良質なポッドキャストや動画を見て情報を入手したほうがいい。特に識者(大学に籍をおくもの)が一般向けに解説してあるものに触れるのがいいだろう。

Talks at Google、TED(これは一般人も多い)、the Economist、ポットキャストの中からディベートや知識を増やすための番組。こういったものをとりいれるのがいいだろう。

わたしは35歳からそれほどボキャブラリーが増えてはいない。ただ読む量は大学院時代ほどではないにしても多い。読み続けている。聴く量も多い。毎日必ず聞いている。映画は前ほど見なくなった。それでも意識的に英語の方が日本語よりも多く使っている。

多くの読者は英語を学習しはじめたのはわたしと同じ中学に入ってからだろう。ということは13歳。それから35歳までとなれば22年は学習してきたことになる。十分であろう。やめる必要はないが英語学習を続けていくならば少しだけ見直してみるのはどうだろうか。

仮説構築、論理的な討論、そして先行研究。そういった場面で英語に触れるというのはとてもいいことだと思う。一方、ニュースや映画を英語で見てもそれほどためにはならないのではないか。まさに英語を学ぶことから英語で学ぶことにする。そのために35歳になったら英語学習を終えた方がいいだろう。