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科学と技術の暴走

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科学と技術の発展が必ずしもよい方向には向かわない。工学部の学生に向けて注意喚起の文章です。 抑制と均衡(Check and Balance)とは権力が特定部門に集中するのをさけ…
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アプリの使いすぎを制御するアプリ

2007年にシリコンバレーで画期的なスピーチがあった。アップル社の故スティーブ・ジョブズがステージに上がって行ったスピーチである。発表会場は満員であって誰もがジョブズは何をしゃべるのか。かたずをのんでスピーチを待っていた。ジョブズが行ったのはこういうものだった。 新商品を発表します。これまでの電話、メール、そしてウェブブラウジングをひとつにしたものでアイ・フォーンといいます。 あれから20年近くが経過した。アプリストアに登録されるアプリは増え続けた。ある調査によるとその数

知覚をきたえる

だいぶ遅れてしまったけど、安宅和人さんの「知性の核心は知覚にある」というハーバード・ビジネス・レビューの論文を読んだ。今までこの雑誌で読んできた論文中でも白眉の一品で、相当な思考の蓄積が伝わる。そして、つい最近に石川善樹さんとの対談も掲載されていて、これも大変によかった。 詳しい内容は是非にこの論文(単品PDFを購入できる)を読んでもらうとして、個人的に知的訓練として大切だと思っていることについてメモしておきたいと思う。 知的活動というのは、外部からの情報を受け取って、そ

AI(人工知能)は緊急度が低い

おおよそ30年前にアメリカのビジネススクールを卒業。通った大学院はジョージア工科大学。技術系の総合大学としては著名である。特に電気工学や産業工学、いわゆる組み立て系製造業に強いということで知られていた。そのビジネススクールに2年通い、MBA(経営学修士)を取得。その間、情報技術の単位もいくつかとった。しかしその中でAI(人工知能)を扱った授業はひとつもなかった。 その10年後、2003年には帰国していくつかの会社を渡り歩いた。その中には渋谷にある日本コカ・コーラでの情報開発

欧米からの動物実験抑制圧力にどう反応するか

コロナが始まって3年が過ぎた。始まった頃は家にいるしかなくわたしにとってはストレスのたまる日々だった。しばらくすると規制が次第に緩和されて外に出かけられる。近くにあるショッピングモールにいった。車で1時間以内にいけるところがいくつかある。北には越谷レイクタウン。北東にはららぽーと柏の葉。南側には幕張イオンモール。中でも浦安にあるイクスピアリにはよくいった。 気分転換にはショッピングモールしかなかった。ところが頻繫にいくようになると慣れてしまいどこか他のところで他のことをした

SNSユーザーは自ら利用制限をした方がよい

2007年にマーク・ザッカーバーグがfacebookをアメリカで立ち上げた。そのニュースは瞬く間に世界に広がった。この日本においてもユーザー数を伸ばした。わたしも比較的早いうちにアカウントを開設して友人とのつながりを増やしていった。毎日のように友人の投稿を見るようになった。自分もなにか楽しいことがあったら出来事を投稿した。 100人くらいのつながりになったときに何かちょっと変だということを感じた。これほどの人とつながっていても何か意味があるのだろうか。ほとんど話したことがな

温暖化対策に向かう勇者たち

2011年から国際経営を大学で教えることになった。千葉県稲毛区にある小さな私立大学を含めて首都圏に4校。さらに年1回関西の方にも講義をする機会を得た。10年間で600回登壇した。延べ1200人の学生の前で経営学の講義をした。わたしの授業は講義といっても壇上から一方的に何かを語る形式ではなかった。授業の初回に学生に向かってこういった。 この授業では自由に研究テーマを選んで興味のあるビジネスを発表してください。それをレポートにまとめるだけで結構です。わたしはほとんどの学生があり

人工知能で騒ぐことはない

1995年といえばいまから30年近くも前のことになる。この95という数字はマイクロソフト社が開発したウィンドウズ95が発売された年としてよく思い起こす人も多い。コンピューター上のウィンドウズ(窓)がいくつも開く。それでひとつだった画面が複数に増えた。情報処理のスピードが格段に上がると期待された。しかもインターネット革命により社外とつながるようになりWWW(ワールドワイドウェブ)という考えが浸透した。しかし社内の仕事は何一つ変わることはなかった。ただ新しい仕事はいくつも増えた。

AI(人工知能)への懸念は不要

10年前の2013年からにわかにAI(人工知能)への関心が高まってきた。この話題はいまでは毎日のようにマスメディアで取り上げられている。紙面で目にすることが多くなりやがて展示会やオンラインイベントでも著名人が紹介している。このAIというのをデータセットの集まりとアルゴリズム(演算手順)というように理解するのは間違いではない。ただそれだけでは十分ではなくなってきた。 将来自分の仕事がなくなるのではないか。コンピューターがこれだけビジネスに不可欠になってきた。そのため法律や経済

科学的根拠なき先天性アントレ論

今から30年ほど前、あと3ヶ月を残して大学院を卒業というところまできた。卒業には、次の3ヵ月で4科目をとり、6月で無事に卒業できればよい、としていた。あと4科目何をとればいいか。教授との1対1の授業もとり、ほとんど選択科目だけ。シラバスを見渡してもそれほど特別に何か変わった授業があるわけでなかった。 それもそのはず。アントレプレナーシップという授業は探してもなかった。 いまでは、ビジネススクールにおいてアントレプレナーシップの授業はどこにでもあるようになった。金融の保守的

日本はEVで勝とうとしていない

愛知県豊田市で生まれ育った。豊田市というのはあのトヨタ自動車の本社があることで有名。子供のころから車はいつも身近にあった。小さいころに聞いた話では市の名前を豊田(とよた)にするのか拳母(ころも)にするのか議論があったそうだ。結果は豊田市になった。 トヨタ自動車の影響はあらゆるところにある。小学校ではクラスの名前にクルマのモデル名を使っているところもあった。カローラ組、カリーナ組、セリカ組。ただクラウン組という名前は付けにくい。親から苦情が出るからだ。なぜわたしの子供がクラウ

温暖化対策は進まず

2000年代中頃であっただろうか。やたらに暑いことが気になりだした。夏の暑さが異常であって体力が奪われたことがある。2007年にリーマンショックがありそこからESG(Enviornment, Society, and Governance)といった投資が伸びたこと。この中の環境ということが注目を浴びるようになった。20年後コロナになってオンラインイベントでかなりとりあげられた。 わたしのマンションでは2014年に大規模修繕工事があった。工事の後に判明したことだけど3F部屋と

お米の生産者さえも食い物にする気候変動論者

30年前の今頃家族で旅行を計画していた。ビジネススクール留学中だったわたしは家族を連れて春学期の休みを利用したい。あのジョージア州アトランタをしばらく離れようとしていた。どこか思い出になるところにいこう。アトランタから車でいけるところを探す。ひたすら北上してワシントンDCにいくことにした。そこにはアメリカ合衆国の記念になるような建物や彫刻があるからだった。 春休みになって古ぼけた日産の車でいくことにした。古いけどよく走る。そして朝早く出発してひたすら北上した。朝ご飯を抜いて

欧州連合は脱炭素で突っ走れるか

30年前にアメリカから帰国。33歳になっていた。その頃の大きな出来事といえば欧州連合(EU)という一大経済圏ができたこと。それまでバラバラだった通貨が統合されてユーロになった。旅行者は国境を超えるごとに両替商のところにいく。その手間が省けるようになった。旅行好きなわたしにとっては各段に利便性を高めた。それだけでなくEUには大きな狙いがあった。 欧州に大きな経済圏と作る構想。大西洋の西側にあるアメリカ合衆国と東側にある欧州の経済圏をつくる。欧州に連合経済圏とでもいうものを作り

糖尿病治療薬に群がる人たち

長男が幼稚園から小学校に通い始めた30年くらい前のこと。同じ小学校に通う同級生仲間ができた。父兄会というのが行われていて女房は頻繁に出席していた。来るひとたちは決まってくる。母親通しで世間話からはじまり次第に親しくなっていく。打ち解けるとプライベートなことも少しづつ共有するようになる。 相変わらず父親どおしでは話が進まず母親の噂話のようなことで終始する。その中で噂ではないほんとうの話も聞こえてくる。友人の中に糖尿病を患うひとが出てきた。インシュリンを打っているそうだ。それで