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阿成「老秦」『作家』2013年第5期

 阿成の「老秦」は『軽風拂面』と題した中に収められた3篇の小品の一つ。その最初が「草根飯店」、二作目がこの「老秦」で、三作目が「野百合小学」。3作は独立しているが、主題は共通していてごく普通の人の情感を描いている。中國當代文學經典必讀  2013短篇小説卷 百花洲文藝出版社 2014,pp.18-21より(なお見出しの写真はヒナギク。英語ではdaisy。白いヒナギクの花言葉は純潔。)。

 私と秦(ちん)さん(老秦)とは昔からの隣人である。秦さんは70をすでに超えているだろう。40年前に秦さんに起きたことは忘れられない。秦さんは当時、街道事務所で長期臨時工として、宣伝標語を書く仕事をしていた。とても綺麗な美術文字だったので誰もが賞賛した。陳さんは30歳台後半でまだ結婚しておらず、両親は早く亡くなり、ただ結婚している姉さんがいた。陳さんはいつもあの小さな食事ができる店で、パンを二つ買うか、あるいはそれにビール1瓶と鴨の卵の塩漬けとを加えて昼飯とした。その店の主人は、年若い後家(寡婦)で、いつも秦さんが昼に来ると、一杯の白湯あるいはちょっとした一皿を欠かさなかった。メーデーで街道事務所が映画券を出したとき、二人は一緒に出掛けた。夜、店を早く閉めると二人は一緒に出掛けた。秦さんは後家さんから若い娘時代の写真をもらった。秦さんはその写真をいつまでも見飽きなかった。ところが秦さんの姉さんが、二人の結婚に反対した。初婚なのに、なぜ後家と結婚するのかと。それだけでなく、後家さんのところに乗り込んで談判に及んだ。・・・翌日、秦さんが後家さんに会うと、ここまでにしましょうと態度は堅かった。・・・二人は深夜まで話し、睡眠薬自殺をすることを決めた。秦さんは助かったが、後家さんは亡くなった。秦さんは夫として後家さんを弔い、墓碑にもそう記した。秦さんは以来毎年の墓詣でを欠かしていない。
 町の中心の公園で、今、私は秦さんのそばに座りたばこを勧めてこう言った。「また春がきましたね。」秦さんは春はいいねという。私は秦さんに、秦さん、もし今日なら、二人はやはりあのときのように愛のために死にますか?と聞いた。秦さんは、ふっと笑って、私に鬼の形相をした。

コメント:この話の主題=新婚かそうででないかを問題にする風潮はやはり中国でもあるのか、というのが最初に思ったこと。そしてこの話はもちろん創作だが、「弟」にとり「姉」という存在は不愉快な存在だと感じた。この場合は、「兄」であればこういう非道な行動はしないのではないか。秦さんは「姉」の干渉をはねつけ、後家さんを守るべきだった。「姉」は後家さんが亡くなってから、大泣きしたが、この「姉」がしたことは、泣いて済むことだろうか。或る隣人は「死んだら元も子もないではないか(孩子死(了你)来奶了:直訳 子供が死んでから乳母がきた。=どうしようもない)」と言ったと作者は書いたがそのとおりだ。そして最後に今では使われない仕事である、宣伝標語を書く仕事というところだが。
 大躍進とか文化大革命で現れた標語、ポスター、演劇・絵画・小説などの中には、まず歴史として記録すべき内容がある。またそれだけでなく、これらの中には評価して良いものも混じっていたのではと考える。よく言われる全面否定ではなく、客観的にこれらを検討する必要がある。

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鄒燦 政治ポスターと現代中国政治の社会化過程-大躍進時期を例としてー 大阪大学DP No.2010-16 2010年11月
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