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陳独秀 民主主義は人類の発明 1940/09

《陳獨秀 給西流的信 1940年9月》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.185-192,esp.189-190 (写真はツツジ。肥後細川庭園にて2020年5月31日)

p.185
   西流兄身辺の方へ:数日前に一筆差し上げ、それに付随して超麟兄から手紙が寄せられたが、すでに見られたであろうか。七月二十一日の手紙は守一兄の手紙がすでに読まれたことを示している。病気のために兄からの手紙にすぐに返事はできないが、同様のことである(今猶如此)。(この手紙は書き続けて二十日余りでようやく書き上げたもので、考えがまとまらないのだ(精神不佳可想)。)もはや疑いを繰り返されないことを!(望勿多疑!)
    手紙によれば、「彼の民主への理解、そして世界情勢への理解は楽観的に過ぎ、わたしは少し幼稚だと感じざるを得ない。」とのこと。我々の論争の中心点は、まさにこの2種類の問題である。(一)大戦で負けた国で革命が起きていないこと。(二)民主を保護すべきであること。あなたは彼は幼稚だと(実際は反動だと)。又間違ってはいないともいう。つまりあなた自身自己矛盾を感じている。(中略)

p.187 
     第二の問題については、わたしはソビエトロシアの二十年来の経験、沈思熟慮の六七年を経て、今日の意見を決定し始めたところである。(一)私は非大衆政権はもとより大衆民主を実現できないと考える。もし大衆民主を実現できなければ、であればいわゆる大衆政権あるいは無産階級独裁は必然的にスターリン式のごく少数人のゲーペーウー(秘密警察)政権となるが、これは時勢の必然であって、決してスターリン個人の心根(心術)が特別悪いからではない。(二)私は大衆民主を資産階級民主に代えて用いることは進歩的で、ロシア、ドイツの独裁を英仏米の民主に代えて用いることは退歩的だと考える。直接あるいは間接、意識してあるいは無意識にこの退歩を助ける人は、その口で何を言おうと皆反動的である。(三)私は民主は一つの抽象名詞ではなく、具体的内容を持っていると考える。資産階級民主と無産階級民主、その内容はおおよそ同じであって、ただ実施の範囲に広狭があるだけである(以前の手紙や後ろの表を参照)。(四)私は民主の内容にはもとより議会制度が含まれると考える。議会制度は民主の全内容と等しくはないが、長年多くの人によって、民主と議会制度は一つのものとされてきた。議会制度を排斥することは民主を排斥することであり、これはまさにソ連が堕落した最大の原因である。議会制度が過去のものになり、歴史の残影になると、民主もそうなってしまう。ソビエト制にはもはや民主の内容がない。しかしなお一種の形式民主代議制である。ロシアのソビエトでさえ、資産階級の形式民主議会に及ばない。(中略)

p.189
科学、近代民主制、社会主義、これらは近代人類社会三大天才発明であり、このうえなく貴重で尊いものとなりうるものである。不幸にして(1917年)10月以来、軽率にも民主制と資産階級統治を同時にひっくり返し(推翻)、独裁をもって民主に置き替えた、(この結果)民主の基本内容はひっくり返され、いわゆる”無産階級民主””大衆民主”(という)、実際の内容がない空洞の名詞、資産階級民主に対抗する上っ面だけの言葉になってしまった。無産階級が政権を取得したあと、国有大工業、軍隊、警察、裁判所(法院)を保有し、ソビエト選挙法という鋭利な兵器を手に、資産階級の反革命を十分に鎮圧した、力を加えるまでもなく、独裁が民主に置き換わった。独裁制は鋭利な刀のようなもので、今日は他人を殺すのに用いたものが、明日は自身を殺すために使われかねないものだ。レーニンは当時、”民主は官僚制に対するワクチン(抗毒素)だ”と気づいたが、真剣に民主制を採用することがなかった。たとえば秘密政治警察をとりやめるとか、反対党派の公然とした存在、思想、出版、罷業、選挙の自由などを容認するなど、はなかった。トロッキーは独裁というこの刀が自身を傷つけるに至って、党、労働組合そして
p.190  各クラスのソビエト(議会の意味がある 訳者)に、民主と選挙自由を求めたが、あまりに遅すぎた!(以下略)

#陳独秀 #レーニン #民主主義 #民主制 #トロッキー    #顧准
#肥後細川庭園

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