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趙紫陽「顧准は大思想家である」1995年11月4日

宗鳳鳴『趙紫陽軟禁中的談話』開放出版社2007, 179-185
1995年11月4日
p.179    1.顧准は大思想家である
 人々が称賛している『顧准文集』、この本をかつて私(宗)は趙紫陽に送ったことがあった。今日趙紫陽はまず私に言った。「顧准は大思想家だ」(今天,趙紫陽首先同我説,顧准是個大思想家。)趙紫陽は、当近の理論界には、顧准の思想水準を超えるものはいないと認めた(趙紫陽認爲在當今理論界還沒有超過顧准的思想水準的。)。彼は言う。あの個人迷信の時代にあって、あの極端に困難な条件と逆境にあって、顧准がこのように研鑽したことや、問題を提出したことなど、いずれも容易なことではない。彼は顧准を敬い心服する気持ちを示し、私に同書をよく読むように求めた。
 趙紫陽がこのように顧准を高く評価するので、私はこの場を借りて顧准その人と著作を紹介したい。
   (中略)
p.183 私は顧准の略歴とそのいくつかの観点を叙述して、内心深く感じるのは、顧准のように思想を持ち、透徹した見解をもち(有真知灼見)、才能にあふれた人が、あのような死を迎えこの世を去ったことは、とても惜しいことで中華民族の損失である。また顧准がこのように一生は「困難にあって志を得られず、繰り返し肉体的精神的苦しみを受ける」逆境であったにもかかわらず、黙々と休むことなく真理を探究した精神は大変尊い。また顧准はこのように妻子と離れ離れになり、無実の罪で貶められて死に至り、老母や子供にも再会はかなわず、遠ざけられた人となったことは、耐えがたいことだ。ここまで書いてきて、私は涙をおさえることができない。
 ここに至って私は、終局の目的がなにか至善の地上の王国を作ること(一方的な目的価値観の押し付け 福光)これが一元主義と政治上進められる専制独裁思想の根源である、ことを理解した。そしてこれが現実の社会主義所有国家が専制(独裁)体制を形作る根本原因なのだ。
p.184     2.無産階級専制(プロレタリア独裁)を放棄しなければ、民主主義は実現できない
 趙紫陽は私に言った。見るところ無産階級専制の学説を放棄しなければ、民主政治は実現がむつかしい。無産階級専制の学説については、無産階級専制をマルクスが提出したのだが、それを整えたのはレーニンであってマルクスではない。ここで趙紫陽は、レーニンが第二インターへの回答において、共産党専制か階級専制かというときに、それは領袖専制(領袖の党)か群衆の専制か、という二者対立問題ではないと答えた。レーニンは言った。群衆は階級によって分けられている(いろいろな階級に属している)。階級は通常、政党が指導している。政党は通常、威信、影響力、経験があり選出された指導者たちが、比較的安定した集団が運営している。またこのようにもいえる。無産階級については無産階級の覚悟ある先鋒隊である先鋒隊である共産党が指導している。そして共産党はまた最も知識、知恵、威信がある指導集団と指導者により指導されている。
 すなわちこれはこういうことだ。階級が群衆を代表し、政党が階級を代表し、領袖が党を代表する。つまり領袖が党と人民を代表する。指導(領導)に反対する人は誰であれ反党、反人民である。このよう(な仕組み)であるので、いわゆる人民民主専制は、すなわち階級専制に変化(演変)する。(さらに)党専制、指導専制、最後に領袖専制に変化する。この学説ではその他の党派はいずれもみな人民を代表できず、人民を代表することも許されない。それゆえに、その他の党派の独立した存在は許されず、他の党派が指導権を分担することも許されない。ただ共産党の指導下で、党の統一意思と指示のもと仕事をし、服従するだけである。趙紫陽は明確に言った。これがすなわちレーニンの国家学説だと。
 私は述べた、香港大学のある教授が述べているー中国の政治体制は問題がある。というのは政企分開の実行が困難だからだ。中国の所有制は問題がある。憲法の修正改正に及ぶからだ。中国の意識形態も問題がある。中国と西欧の文化価値観が違い、融合がむつかしいからだ。
 趙は言った。政治改革、これは民主政治を実行し、党の禁止、報道の禁止を自由化(開放)し、言論、結社の自由を実行し、公開監督を進めることである。これは中国共産党の指導地位を動揺させ、政権を失う危険すらある。これは権力者が絶対受け入れられないところだ。この種の政治改革はまた無産階級独裁の国家学説の放棄も要求している。これもまた許されないところだ。これは人権や自由とは異なっている。というのは人権や自由は大きくの小さくもなり、広がりも狭まりもでき、あなたに与えることが出来る、ある程度伸縮性がある。(趙紫陽は肯定的口ぶりでさらに述べた)。それゆえに胡績偉が提起した政治民主は
p.185  経済の中で生きる(寓)必要があるということは、実現しがたい。ある人が提起した民主の実行は下層からというのも。実現がむつかしい。まとめるに、無産階級独裁この学説を放棄しなければ、民主政治は実現できない。
        (以下略)

(なお『杜導正日記』天地出版社2010の1994年3月2日の記述に、午後、趙紫陽に香港で買った『顧准筆記』を読んで上げた(読給)という指摘がある。1994年から1995年にかけて顧准のことが、趙紫陽の周辺で繰り返し話題であったことは確かであろう。他方でこの11月4日の後段は、顧准の話を離れてレーニンの国家学説の話になっており、その内容は1995年5月1日「レーニンの領袖専制理論批判」の記述と重複が多い。その結論は無産階級専制の議論を放棄しない限り、民主政治は実現しないということ。ただし5月1日には無産階級専制の「理論の放棄をしない限り」といい、11月4日には「学説の放棄をしない限り」といっている。かなりあとになるが『杜導正日記』天地出版社2010の2000年10月17日の記述に、趙紫陽が顧准を実際に引用しているところがある。それは顧准が民主には間接民主と直接民主の2つがあり、間接民主しかない。そうでなければ独裁(専制)になるとしているところ。である。p.167 顧准について詳しくは以下を参照されたい。福光寛「顧准(グウ・ジュン 1915-1974):生涯と遺著『理想主義から経験主義へ』」『成城大学経済研究』222号2018年12月、91-143)。



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