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人的資本 human capital

 人が、教育、訓練、健康などへの配慮によって、生産性を高めることのできる存在であることを、つまり人を資本としてとらえるべきことを、以下のBeckerの小文は明らかにしている。だとすれば、企業は、人への投資に配慮すべきだし、人への投資の節約が、生産性の低下につながること。あるいは人を失うことが、企業の生産性の低下につながることを考慮すべきである。
 このような人の要素に着目するかどうかで、企業経営の在り方は実は大きく変わってくる。従来、アメリカでは、景気が悪くなると、人を直ぐに解雇したり、あるいは人的投資を節約したり、と言ったことが一般的。しかしそれでよいのかという疑問につながるからである。
 またこうした人という要素で示されるのは生産性だけでなく、仕事をする上での誠実さとか、責任感、正直さ、と言った道徳的なものが大きいのではないか。
 企業がもっているブランド価値の多くは、企業に勤める人が培った、仕事をするうえでの誠実さ、責任感、正直さ、といった道徳的なものに依存している。人的コネクション、人と人のネットワークも重要だ。それらは無形資本といってもいい。ブランド価値と言うと、商標や、特許権などの知的財産権に目が行き勝ちだが、こうした道徳的価値観や人的ネットワークの問題も大事だ。
   市場ではブランド価値を評価する形で、誠実さ、責任感、正直さ、といった道徳的なものが評価される仕組みが機能していると考えられる。
 そこで改めてだが、学校教育とはなんだろうか。学校という集団の中で、共通して学ぶのは、ルールや価値感、習慣ではないか。学校で教えている科目は、広い意味で社会の仕組みを教えるものではないか。社会のトレンドの変化、新しい価値観やルール、習慣も伝えようとしている。そして小学校に比べ、中学、高校、大学とその学びは広がり、深まってゆくとみるべきだろう。学校での研究や教育には、社会のルールや価値観の現状や歴史を考察し、また新たな価値観を教育に取り込み、社会に定着させる意味があるのではないか。逆にいえば、こうした教育の役割を自覚的に進めている教育機関が良い教育機関だと言えるのではないか。
 より高い教育を受けた者の所得が上昇する傾向については、各国で確認されている。そのことで暗黙に示唆される問題は、より高い教育を受けた両親が所得階層を上昇させそのこどもにより高い教育を与えることで、教育が社会的格差拡大につながるという問題である。(福光)

By Gary S.Becker, Human Capital
Cited from Econlib.com
 以下の著者のベッカーはシカゴ大学の経済学・社会学教授、シカゴ大学ビジネススクール教授、1992年ノーベル経済学賞受賞。

 多くの人にとって、資本とは、銀行勘定、IBM株数百株、組立てライン、あるいはシカゴ地域にある鉄鋼工場を意味する。これらは、所得を生み出す、そして長期間にわたりその他の役立つものを生産する、資産である。
 しかしこのような有形資産は、資本の唯一のタイプではない。学校教育、コンピューター訓練コース、医療者(medical care)への支払い、正確さや誠実といった道徳についての講義、もまた資本である。というのも、これらは、その人の生涯にわたって、稼得所得を増やし、健康を増進させ、人ととしての良い習慣を加えるからである。それゆえ経済学者は、教育、訓練、医療者への支出を、人的資本への投資とみなしている。経済学者が人的資本と呼ぶのは、その知識、技術、健康あるいは価値観を、その財務的物的資産と同様には人から分離できないからである。
 教育、訓練、そして健康は、人的資本のもっとも重要な投資物である。合衆国の高校大学教育が、人の所得を大きく引き上げたことはー学校教育の直接間接の経費を控除し、そしてより高いIQ、より高い教育を受け、さらにより豊かな両親がより多くの教育をもたらす傾向があることを調整したその後についても、すでに多くの教育が示している。同一の証拠は多年にわたり百以上の国について、様々な文化経済体制を超えて入手可能である。より多くの教育を受けた人は、ほとんど常に平均以上の所得を得ている。得ているモノは一般的に途上国においてより大きい。
 過去50年間の大学と高校の卒業生の間の平均稼得の違いを検討しよう。1960年代初期までは大学卒業生は、高校卒業生より45%多く稼いだ。1960年代にこのプレミアムはほぼ60%まで上昇したが、1970年代に後退し50%より少なくなった。1970年代の下落は、何人かの経済学者やメディアに「過剰教育されたアメリカ人」を心配させることになった。実際1976年にハーバードの経済学者Richard Freemanは『過剰教育されたアメリカ人』と題した本を書いた。この投資成果の落ち込みは、教育と訓練は、本当に生産性を上げているのか、あるいは(教育と訓練は)、単に能力talentsと可能性abilitiesについての信号signals(証明書credentials)を生み出しているだけなのか、といった疑いを引き起こした。
 しかし大学教育からの貨幣的稼得は1980年代に急速に上昇し、1930年代以来の最高水準に達した。経済学者Kevin M.MurphyとFinis Welchは、1980年代の大学教育から得られたプレミアムは65%を上回ったことを示した。このプレミアムは1990年代に上昇を続け、1997年には75%を上回った。弁護士、会計士、技術者そしてその他の専門職はとりわけ稼得が急速に増えた。高校中退者に対する高校卒業生の稼得の開きも、同様に大きく拡大した。過剰教育されたアメリカ人についての議論は消滅し、合衆国は適切な質と量の教育と訓練を提供しているかの懸念に置き換わった。
 (以下略)


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福光 寛  中国経済思想摘記
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