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ロシア革命 民族自決権の約束の反故 1917-1922

By John Simkin, Commissar of Nationalities
Cited from Spartacus com

 1917年11月、Vldimir LeninはJoseph Stalinに、Stalinが10月革命を支持したことに対し、諸民族担当人民委員(Commissar of Nationalities)に任命することで報いた。ジョージア人(グルジア人)であり、少数集団の一員であり、ツアーのもとでの非ロシア人の諸問題について書いてきたスターリンは、Commissar of Nationalitiesの明らかな候補者とみられていた。それはスターリンに、非ロシアに区分される国内人口のほぼ半分に対するとても大きな権力を与える仕事だった。スターリンは今や、(併せて)6500万人の、ウクライナ人、ジョージア人、Byelorussians,Tadzhiks,Buriats,Yakutsを扱う責任を担うことになった。
 Bolisheviksの(もともとの)政策は、ロシア国内のさまざまな民族nationalitiesすべてに自己決定の権利を与えるものだった。これは1917年11月16日にスターリンがヘルシンキで行った演説により、強化された。スターリンは聴衆に、「ソビエト政府は、フィンランド人とロシアのほかの諸民族peoplesに彼ら自身の生命を定めるarrange完全な自由を与える」と約束した。スターリンの計画は、ロシアとロシア国内に住む様々な民族集団との間で、彼が「自発的で誠実な連合alliance」と呼ぶものを発展させるというものだった。
 (しかし)次の2年間が経ったあとも、スターリンは非ロシアの人々を彼の支配下で統制することに困難があった。(非ロシアの)新諸政府はBolsheviksにしばしば敵対した。スターリンはこれらの独立政府が、ロシアとともに社会主義国家連合造りに参加することを自発的に同意することを期待した。このことが起きなかったとき、スターリンは政策を変更せざるを得なくなった。そこで自己決定は「ブルジョアジーの自己決定権ではなく、それぞれの民族の勤労大衆toiling massの自己決定権だと理解されるべきだ」と述べた。言い換えるなら、これらの独立国家が社会主義政府を持ち、進んでロシアと連合するのでなければ、ボリシェビキは、自己決定を許さないだろうと。
 Vladimir Leninもまた独立についての、彼の見解を変更した。彼は今や「現代経済は中心地に高度の権力を必要とする」との結論に達した。Bolsheviksはロシアの人口のほぼ半分に自己決定権の保有を約束したが、レーニンは今やこのような政策は、ソビエト政府の生き残りに深刻な脅威になりかねないとの意見だった。(少数民族の)自己決定権についての約束の反故は、レーニンの政府がロシアで人気を失った多くの理由のその一つに過ぎない。


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