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張維迎 中国経済の転型と企業家精神 2015

この論文も雑誌論文からの転載だと考えられるが、とりあえず論文が収載された図書の刊行年を発表年としておく。書誌事項は以下の通り、
張維迎《中國經濟轉型與企業家精神》載《新常態改變中國》中和出版社·2015年196-212

p.196     企業家が転型の核心である

 いわゆる中国の経済転型とはどのような意味か?われわれはこの転型には二つの面が含まれることを知っている。
 一つは計画経済から市場経済への転型である。1978年から始まり、現在に至るまでなお終わっていないし、いつ終わるか我々も知らない。この転型の過程で、企業家はこの転型を完成する鍵である。1984年、私は『読書』雑誌上、企業家に関する文章を書いた、時代は創新精神を持つ企業家を求めている。
 二つ目は数年近く沢山話されたことであるが、まったく整頓改革(整改)方式の転型である。この転型は配置から効率を引き上げ 新たに駆動する整頓改革の創新を推し進める。核心はまた企業家であるが、この点を理解されたい、我々は理論を求めている。我々はまず皆さんに一般的な全体転換(整転)理論を以下に紹介する。一つは新古典派の成長モデルで、語られるのは生産量で、生産はどこからやってくるか。3つの方面からくる。一つは資本の蓄積(積累)から。我々がより多くの設備をもち、より多くの作業場(廠房)をもつほど、これは農業時代と異なっている。第二は労働力の成長であり、第三は技術進歩である。新古典派のモデルのなかでは、技術進歩は外生的である。どのような原因に伴うものか?我々は討論に進まなかった、技術進歩はこの全体の転換を伴ったからだ。
p.197    我々が主に行ったのは、資本の蓄積である。20世紀50年代から始めて、中国が行った計画経済、それに伴う全体転換モデルは対応している、我々は中国の民間が進めた資本の蓄積した力量はとても弱かったと考えている、そこで国家の助けが必要であり、政府の力で蓄積を進めた、これは強制的貯蓄とも呼ばれる、例えば農産品価値(価格?)が、市場化価格に比べて押し下げられた。このような全体転換は全体転換のメカニズムを持たない、また構造(結構)を持たない。私たちはおよそ成長というものは、資本が増加し、労働力が増加すると、経済も成長すると考える。私が考えるに多くの問題がある。資本がなぜ累積するかということを含めて、技術はなぜ進歩するのか。この成長モデルはいずれも全く我々におしえてくれない。
 第二の成長モデルは、我々が現在何度も用いているものだ。すなわちケインズ主義の成長モデルだ。GDPの成長が経済成長を代表しており、GDPは三つの部分を含む。消費、投資と輸出入口である。これは「三頭馬車」となる。このような一種の理論によると、経済成長の来源は総需要の成長である。我々は消費、投資、輸出入を刺激しなければならない。輸出は輸入を超過した部分が、経済成長に貢献できる。このモデルの含意は何だろうか?それは経済成長を維持するために、我々は国家のマクロ的貨幣政策と財政政策を総需求を刺激するために用いる。現在議論している内需拡大を含め、実際上はまた、建設されたこのモデルの基礎上で。現在の中国人の多くは,外商の投資を含む、このモデルが好きである、と言える。投資銀行のアナリストが中国経済を分析し、需要(需求)がいかに変化し、どの消費需要が、どの投資が(変化したか)、政府の金融(貨幣)政策を見て、準備金を設けることが必要だと(議論する)、すべてはこのようなモデルを立ててである。
    わたしはこのモデルは世の中のルールに反している(錯得離譜)と考える。というのは「三頭馬車」はただGDPの構成であって、それ自身は成長の源泉ではないからだ。我々は投資を講義して、投資は成長の重要な源泉であるという、しかしこれは需要の角度に従った理解ではありえない、投資は本質的には供給を提供し、投資は技術の創新を伴い我々の生産力を高める。しかしケインズ主義の成長モデルによれば、我々はただ投資をただ需要を求めるだけ、ただGDPを求めるだけ、これは現在中国が直面しているとても多くの面倒を生み出している。さらにルールに反しているのは消費である。我々が生産を発展させるのは本来消費のためである。しかしこのモデルの中では消費はただ手段に過ぎず、我々の目的はGDPの成長である。もし投資が行われなければ、我々はどうして消費を刺激できようか?我々が2008年にお8%の成長速度を保持するために、家電が田舎に行くのに各種の補填を進め、中古品売買を奨励したなどなど、これは完全に本末顛倒である。この政策の結果は非常に厳しい結果を伴った、
p.198   現在中国が直面している困難は、2009年に(とられた)ケインズ主義的刺激政策が関係している。我々が新たな困難に直面しているいま、我々はなおケインズ主義的政策を用いてそれを解決しようとしている。私は問題がますます深刻(嚴重)だと考える。我々は経済はいかに発展する、いかに成長するものであるかを正しく理解する必要がある。私は我々はケインズ主義的成長モデルを放棄すべきだと思う。

 アダム・スミスの経済成長モデル

 以下に私は皆さんにアダムスミスの経済成長モデルを紹介する。
 このモデルはとても簡単である。国家の富の成長には、国民の収入の成長が必要で、労働生産力が高くなること、即ち一人の労働者が単位労働時間当たりより多くのものを生産できることにかかっている。労働生産力の上昇は創新と技術進歩にかかっている。技術進歩はなににかかっているか?労働の分業と専業化にかかっている。この道理はとても容易に理解できる。もし人が多くのことをしようとしてうまくゆかないなら、何か一つに集中せねばならない。集中することが狭ければ、これをうまくすることができる。かつ新たな方法を不断に思いつき、改善を進め、効率をあげることができる。また分業は市場取引と市場の規模にかかって居る。分業するには市場が必要である。市場規模は、我々が経済問題を認識する上でとても重要である。これはアダム・スミスが最初に発見したことではなく、二千年前に中国の荀子が(そして)西欧古代ギリシアのセヌオフェンニ(色諾芬尼)が明確に述べていることである。一つの村が小さいとき、この村は専業化した人を養うことはできないが、村の規模が大きいと、多くの専業化した人を養うことが出来、分業はますます細かくなる。
 アダム・スミスの成長モデルによれば、我々は市場規模が大きくなるほど、分業がますます細かくなることを見る。分業が細かくなるほど、創新もますます多く、技術進歩はますます早くなる。技術進歩が速くなるほど、経済発展もますます早く、富の蓄積もまたますます早くなる。富が蓄積され、収入が成長したのちに、また一歩市場を広げることができる。このように正しい循環が形成され、経済成長はまさにこのような循環の中で進行する。
 このモデルは我々が問題を認識する上でとても多くの重要な意義がある。とくに企業家にとってとても重要である。第一に経済成長は必ず源にある分業の連鎖は不断に長くなる。二人、10人、百人、1万人が異なることをしてp.199   いる、経済成長は必ず専業化の程度を不断に深くする。第二に需要の構造と産業の構造は必ず絶えず変化する。私は特にこの点を強調する、経済成長の遅れた段階では、物質の需要の比重が比較的大きい、しかし次第に非物質的なもの、見たことがないもの、(計算機の)ソフトを含む、これらの者の金額がますます大きくなる。(中略) かつてはなかった、携帯電話が今では一般的である。
    これはアダム・スミスが我々に伝える非常に重要な理論である。

 企業家が市場と分業を創造した

 しかしアダム・スミスのこの成長モデルには問題がある。第一、市場はいかに出現するのか?第二、この分業はいかに形成されるのか?この分析で得るところが多いのは百年余り前のオーストリアの経済学者シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter)の『経済発展理論』(The Theory of Economic Development)であり、本書の中で企業家精神が述べられている、企業家は経済成長の「国王」であると。もしこの理論を今述べたアダム・スミスの理論中にはめ込むなら、これを私は「修正されたスミスの成長モデル」と呼ぶ。このモデルの重要な要素(中堅)は企業家である。
 第一に市場。市場それ自身は自然に存在しない。先に需要があるのではない、企業家がそれを満足させる方法を考えたのである。企業家の最も重要な任務は市場の発見であり、市場の創造である。我々が慣れ親しんでいるある品物、パソコン市場、ソフト市場、もともとなかった、さらに言えばインスタントラーメンこれもまたなかった、もとは小麦粉市場があっただけだ、これらのものはすべて企業家が創造したものだ、それゆえ
p.200   企業家が市場を発見し、創造したと言える。
 第二に分業。分業もまた自然に出現したものではなく企業家が創造したものだ。実際、企業家は創新ごとに新たな分業を創造する。もっとも典型は、ビル・ゲイツ(比爾・蓋茨)である。彼の前にはソフト産業はなかった、ソフトとハードは一緒だった、ビル・ゲイツがソフト、このような産業を創造した。とても多くの経済道具(工具)と生産方式もまた変化した。もともと我々は直接生産であったものが現在は迂回生産である。例えば現在、麦を刈り取るためにまずコンバイン(収割機)を生産して、苗を育てる。これは企業家が創造したことである。実際、創新は企業家の基本的役割である。(中略)企業家は経済成長全体に多くの重要な役割をしていることわかる、市場の発見、分業の出現、創新あるいは収入を変える新たな市場、すべては企業家精神のたまものである。(中略)

p.200  企業家には不均衡を発見する、そして不均衡を創造する、二つの主要な役割がある。(中略)

p.203   企業家が不均衡を発見する市場間の価格差を利用して儲ける行為(套利行為)は要素の配置効率を高めることができる。(中略)

p.211  中国の現在の改革は功利主義的改革である。その意味は、経済発展を最大の目的(事)としGDPを最大の目的にしている。衡量することはただGDPに有利かどうかで、有利ならよいこと、不利なら悪いことである。これは問題である。この功利主義的発展は我々の今日の発展に不利である。なぜ民営企業を発展させるべきか?民営企業が効率的だからであるが、私は効率が唯一の理由だとは考えない。我々は自由創新を正しく認識すべきである。自由創業、自由取引(交易)はすべて人の基本権利である、安易にうばってはならない。われわれは功利主義から権利優先に転じるべきである。人は基本的権利をもつべきであり、この権利はなんらかの功利よりも先にあり、なんらかの利害標準よりも先にあるものである。当然、物質となる利益は功利主義的標準と比較できるが、基本権利である真剣と尊厳は、功利主義とは比較衡量できないものである。我々の市場は経済成長の道具ではない、市場は人の自由を実現する一つのルートである。もし我々が人の基本権利を尊重するなら、市場経済は自然にくるであろう。反対にもし我々の体制が人の基本権利や自由を尊重しないなら、あまたの改革措置も本当の市場経済を建設することはできない。民営経済が経済の発展に有利であれば、北京中関村の専区に優遇政策を与え、数日して経済発展に不利だと分かり撤回する。有利かどうかではなく権利として、撤回できないものとする、ただこのような情況においてのみ、我々は民営企業家に一人ずつに安全感を与えることが出来、この安全感があることで、我々は創新に向かい、発展することができる。

告別功利主義的改革      財新時間     2015年9月10日     中關村軟件園國際會議中心     
1978年に開始された計画経済から市場経済への転型はまだ終わっておらずいつ終わるかもわからない。この数年、成長方式の転型が議論されている。ケインズ主義的成長モデルからの転型。2つの転型の核心はともに企業家である(前者ではイノベーション精神を備えた企業家がこの転型を完成するには必要、後者の転型は配置効率引上げの推進しつつイノベーションで駆動された改革でありその担い手はやはり企業家である)。



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