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薛暮橋 書面報告 1979/03

 這是在理論工作務虛會議上的書面發言。“根據實綫經驗回顧二十多年的經濟工作”載《薛暮橋改革論集》中國發展出版社2008年11-25, 22以降passim 。なおこの報告の日付けは1979年2月とするものもある。
  実は薛暮橋(シュエ・ムーチアオ 1904-2005)という人をどう捉えればいいか迷いが長年ある。《中國社會主義經濟問題研究》人民出版社の著者(正確にいえばとりまとめ責任者)として、改革開放政策の理屈付けを展開してみせた人物。
 彼の《回憶錄》天津人民出版社2006年を読むと、価値規律のところは、この論争についての薛暮橋自身による解説になっている(182-189)。迷いがあるのはこうした記述から、この人をどう評価するか迷いがあるからだ。たとえば孫冶方は明らかに流れに抗する点で一貫している。独房に放り込まれた孫冶方や、過酷な労働を強いられた顧准に比べて、文革中の「労働改造」の間も、この人は自分は高齢だったので半労働力だったといっているが比較的軽い労働だけで、2年少しで解放されている(225-232)。この「幸運」は何を意味するのか?主流から大きく離れていないから軽い処分で済んだように思える。
 以下は1979年の書面発言。この時点で中国社会主義の問題点を整理したもの。問題点の指摘として正しいかもしれない。1978年の後半から彼は《中國社會主義經濟問題研究》の執筆作業に入っている。この発言はその執筆渦中でのもの。

p.22  以下、私個人が体験から会得したと思うところについて、何点かそのとりあえずの観点を話すことにする。
 第一に我々は経済工作を行うときに、まず経済発展の客観規律を認識すべきであり、客観規律に従って事を進めるべきで、主観願望だけに頼ってはならない。社会主義は本来資本主義が高度に発展したもの(事物)であるが、我が国はもともとは貧しく遅れ、小農が圧倒的に(絶大)優勢な国家である。このような基礎上の社会主義建設は、実際の状況から出発して一歩一歩進むことしかできない。我が国の農業集団化(合作化)の歩み(步伐)はとても速かった。1958年に人民公社を徹底して進めた(大辦)、三四年は必要だと提起し、五六年で全民所有制に移る、なお十五年二十年を要して共産主義に入る。これは明らかに生産関係は、生産力発展の要求に必ず適合せねばならないという最も根本の規律に違反していた、結果は農業生産の大後退を引き起こし、全国人民は3年の困苦生活を強いられた、後退を迫られたあと、「生産隊を基礎とする三級所有」(人民公社から生産大隊、さらに生産隊と生産計算単位を後退させたことを指している 訳注)に後退を迫られた。このような大きな教訓を受けたものの、我々はなお農業生産を発展させ、農民生活を保障することが社会主義集団経済を確固とすることだとなお理解せず、集団経済が強固でないのは資本主義が生み出した勢力の陰謀(作怪)だと誤って考えていた。農業生産と農民生活を少しよくすべきときに、階級闘争にただ忙しく「資本主義の尾を切り落とす」として、農業生産をまた切り落としてしまった。我が国の農民生活水準はかくも低いのに、多くの同志は農民が貧しいことを恐れず、農民が豊かであることを恐れ、豊かになった結果、資産階級になることを恐れた。世界中のどこに貧しい社会主義といったものがあるのか?もし社会主義が農民に豊かな生活を許さないなら、農民はなぜ社会主義を歓迎せねばならないのか?

p.23
   第二、国民経済は高速度に発展せねばならず、必ず計画し、比例が伴わねばならない(有計劃,按比例)。光速度は必ず比例せねばならず、比例が失われることは、高速度を保てないだけでなく、下降を迫られることがある。1956年に毛主席は『十大関係を論じる』で指摘している。農軽重三者の関係を正しくしなければならない、ソ連が重工業を偏重し、農業、軽工業を軽視したことを学ぶことはできない。しかし「十大関係を論じる」は当時十分伝わらず学習されなかった。以後3年間の”大躍進”は重工業の発展が早すぎ、孤軍突出、比例関係を破壊し、結果、工業農業生産は次々に後退した。

p.26
   第三、建設速度を加速するにあたり、とくに国家建設と人民生活の関係をよく処理することに注意すべきである。私は陳雲同志が60年代に提出した意見をなお引き継ぐ必要があるーまず生活、その後で基礎建設だと。こういうことだ。我々は国家計画を処理(安排)するとき、まず人民生活の保障を考慮し、人民生活が生産の改善とともに次第に改善されるようにして、残った余力で基本建設をするようにしなければならない。これはまさに毛沢東同志がいうところの、農業、軽工業、重工業の順序で国家計画を処理するというところ(内容 訳者補語)である。毛沢東同志と陳雲同志の意見は決して真面目に執行されなかった。毎年の計画会議ではみんなが基本建設投資を競い、労働者や農民の生活をいかに改善するかの討論はとても少なかった。(中略)
 社会主義はなぜ資本主義に勝利するのか?人民を主人とすることで、労働人民の積極性を動員、発揮できるからである。それには人民生活を保障するだけでなく、人民生活ますますあらゆる面で改善、ますますよくなるのでなければならない。この数年、林彪、”四人組”が滅茶苦茶をしたので、多くの職工は二十年余り、二十年昇給がない。子供は多くなり、生活は改善せず、むしろ下降している。農民の生活はさらにひどく、社会主義改造基本完成後二十年余り全国一人当たり平均食料生産量は全く増えていない。

p.27
   第四、経済規律を改善する点には、我々の国民経済管理体制を改革せねばならない。二十年余りの経験が我々に告げているには、経済工作の中で我々は経済規律に違反することが避けがたいのは、重要な原因は単に我々が国民経済発展の規律を掌握していなかっただけでなく、我々の経済管理体制その自体に多くの問題があって、それが我々に経済規律違反を起こさせやすくしているということである。我々の経済管理体制は、基本的には(19)50年代ソ連から学んだものである。この制度の良いところは、人力、物力、財力を国民経済血脈の重点項目に用いることができることである。しかし大きな欠点もある。それは集中が過度で、地方と企業の積極性を束縛してしまったことである。さらに重大であるのは、それが基本的に上から下への行政方法で経済を管理したことで、経済方法や経済組織の作用を全く活用できなかったことである。このような管理制度のもとで、おおくの基層企業はただ上級の生産計画を機械的に執行するだけで、経済予算や経済効果を語ることがなかった。利潤はすべて上納され、投資はすべて上が決めることで、いかなる経済権利もなく、また経済責任もなかった。これでどうして企業は経済規律を働かせることができようか?

中国経済思想摘記目次

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