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仏教と私たち:梅原猛さんの本から

 寺とか仏教とかを考えたときに、まず僧侶を尊敬する前提として、それなりに仏に近付こうと僧侶は努力している存在だという思いがある。仏教を宗教として、信頼する前提として、そこにある教えが人の道として正しいことを説いているはずだという思いがある。
 それゆえに僧侶は仏法を修行するべきだし、世俗の人より身を正すべきだろう。そうした尊敬できる僧侶を見習って、私たちも努力する。それが仏教における、寺と檀家との本来の関係だったはずだ。
 なぜ、こうした関係は失われたのだろうか?ー仏教の中にひたすら観音さまあるいは仏様にすがり念仏を唱える考え方がある(他力念仏)。気になるのはこの考え方のなかの、自身の弱さを前提とし、極端には悪人であって良い、救われるとしている部分だ。だから弱い庶民の宗教になったともいえるが、他力念仏では、仏教がもともとは持っていたはずの道徳律のようなものが消えているようにも思えることは残念だ。

 梅原猛さん(1925-2019)は近代の仏教が戒を捨ててしまったのは大きな問題だとして、仏教は道徳を大事にするべきだと説いた。そして一人ひとりが仏になろうと努力することに戻ることを説いた。そのように努力する中に日々の生業を律する原則も浮か上がる。
「梅原猛の授業 仏になろう」朝日文庫2009年
「梅原猛の授業 仏教」朝日文庫2006年

 そもそも仏教でしてはならない十善戒がある
 不殺生
 不偸盗(ふゆうとう)
 不邪淫
 不妄語
 不綺語
 不悪口
 不両舌 
 不慳貪
 不瞋恚(ふしんい)
 不邪見

 この世の苦しみ(四苦八苦)の原因となる愛欲を滅ぼすために戒律を守り心を落ち着け(禅定)智慧を磨きなさい
 貪(とん)瞋(じん、嫉妬や憎悪)痴(無知)を抑制する
  生(しょう)病老死
  愛別離苦
  怨憎(おんぞう)会苦

 釈迦の思想として四諦(したい)がある
 人生は苦しみであると悟ること=苦諦(くたい)
 苦の原因は愛欲であることを悟ること=集諦(じったい)
 愛欲をコントロールすること=滅諦(めったい)
 愛欲を滅ぼす方法である戒、定、慧を悟ること=道諦(どうたい)
 規則を守り、集中力を養い、知恵を磨いて人生を生きよ

 戒律を守り徳を積みなさい
 六波羅蜜 修業するものがその仏になるという理想を完成させるために積極的に行うべき六つの徳
 布施
 持戒
 忍辱(にんにく)辱めに耐える
 精進 こつこつ努力する 
 禅定(ぜんじょう)心を静める 定(瞑想のこと) 
 智慧 人間が愛欲によって苦しみを起こすという世の理(ことわり)を知る

 また八聖道(はっしょうどう)というのもある
 正見(しょうけん)正しい思想
 正思惟 心の正しさ
 正語 正直であれ
 正業
 正命
 正精進 集中力を養え
 正念 きちんと目的をたてる
 正定 心を集中させる
 人生をどう生きたいか はっきり目的をきめてそれに向けて努力すること

 そして四弘(しぐ)誓願を紹介する
 衆生無辺誓願度
 煩悩無数(むしゅ)誓願断
 法門無尽誓願学
 仏道無上誓願成(じょう)
 すなわち十善戒と六波羅蜜をしっかり守って四弘誓願を自分の願いとして生きる そのようにして生きることができれば仏道は八割方成就していると梅原さんは説いた。これは仏教をお釈迦様が説いた元の形に戻すということではないか。

お釈迦様最後の教え 薬師寺 加藤朝胤 2022/02/01
同上後編 2022/02/08
ブッダの最後の言葉① 田上太秀 NHK教育テレビ2011/04/17
ブッダの最後の言葉② 田上太秀 NHK教育テレビ2011/05/15
梅原猛『親鸞「四つの謎」』新潮講座2014/09/05upload


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