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椿山荘庭園について

 明治時代は山縣有朋侯爵邸の庭園として「椿山荘」と命名。その後、藤田平太郎男爵が譲り受け整備したとされる。
 庭園の見どころはいくつかある。思いつくままあげてみたい。
 まずは広島県篁山(たかむらさん)竹林寺から移築された三重塔。関東圏への三重塔移築としては、横浜三渓園の旧燈明寺三重塔が有名(大正3年1914年)。ただ燈明寺は、神仏分離令で廃寺になり、以後、荒廃していたとされる。これに対し竹林寺の場合は大正に入ってから、強風で傷み、売りに出されたものを藤田男爵が買い取り、移築したもの(大正14年1925年)。竹林寺は現存しているので、地元の方の心情を思うと、三重塔を現地に残せなかったことを残念に思わないではない。
 高さは五丈五尺。16.65m。銅板瓦葺。それほど大きな塔ではない。建設時期は室町の終わり頃とされている。現存の竹林寺本堂は永正8年1511年再建で重要文化財。三重塔(現在の名称は圓通閣)はこの本堂とほぼ同時期のものと推定できよう(重要文化財指定平成15年2003年)。

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 今一つ。京都石峰寺の伊藤若冲(1716-1800)下絵による羅漢石20体。先ほどの竹林寺同様に、石峰寺も現存しているので、文化財の流出を見るようで、少し残念に思わないではない。石峰寺にはもともと1000体を超える羅漢石があったが、現存はその半数以下とのこと。それを東京で拝見できることを喜ぶべきかもしれない。
 そして最後に寛文9年1669年のものとされる庚申塔。これはこのあたりの野道にあったものとされる。青面金剛。かなり保存状態が良く像形が大変良く分かる逸品である。
 アクセス ホテル椿山荘内。現在はホテル施設利用者にのみ開放。


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