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『経済恐慌』(エルスナー)1953

    著者のエルスナーは東ドイツの経済学者。原書が1953年の出版。Fred Oelssner, Die Wirtschaftkrisen, Dietz Verlag, 1953. 訳書は1955年大月書店から出版である。訳者は恐慌論研究会。1950年代には、資本主義の最大の欠陥として、経済恐慌が議論されていた。そして、生産の社会的性格と領有の資本主義的性格とのあいだの矛盾として、経済恐慌が現れると本書は説いている。また本書は、産業資本主義以前、産業資本主義段階、そして独占資本主義段階に区分して、恐慌の形態や性格が変化することを描き分けようとしている。こうした歴史段階的な認識が、科学的で正しいものと当時は信じられていた。
 歴史段階的な見方を頭から否定する議論もあるが、賃労働を行う労働者が形成されたり、そうした国民の大多数の人々を含めて、大衆消費社会が形成され、民主主義を掲げた議会制度が発達するのは、人類社会の歴史のなかで、この200年間で生じたこと。といった歴史認識自体は間違いではないと、今でも考える。しかしそれでもなお読んでいて、本書を古臭く感じるのはなぜだろうか。
 今おそらく多くの人は、恐慌よりは社会的な格差の拡大や、環境問題への対処の遅れを、資本主義社会の欠陥として、重視するのではないか。では、社会主義かというと、記憶がよみがえるのは、社会主義を掲げた社会が起こした犯罪への記憶である。より具体的には、レーニン=毛沢東型の社会主義が、民主的議会制度を否定し、結果として議会制度を主張した多くの人々を殺害し、独裁国家、格差社会を導いた苦々しい記憶である。ということはレーニン=毛沢東型社会主義は私たちの選択肢にないわけだ。
 他方、景気後退対策については、資本主義社会はかなり敏感になった。企業レベルでも国家レベルでも。国家レベルでは金融・財政両面のメニューが整えられ細かく実施されるようになった。企業レベルでも細かな調整が日常的に繰り返されている。このような変化の結果として(景気循環は平準化し)、循環性恐慌は人々の最大の関心からは外れてきたのではないか。そして企業倫理など企業統治の問題の方がよほど企業に影響を与えている。
 こういうことだ。エルスナーの議論は企業倫理、社会的格差、環境、さらに民主的議会制度、これらの1960年代以降に明確になった論点を組み込んで、書き直されねばならない。つまり企業統治を進め、格差の拡大に反対し、環境問題の悪化に反対し、民主的議会制度を擁護する立場を堅持する観点で、書き直す必要がある。そもそも循環性恐慌は最大の問題ではなくなっている。そのように感じるので、本書を古く感じるのではないか。
 参照  顧准 レーニンの誤り 1973
     顧准 資本主義も変化した 1973  
                胡適 反対党容認論 1946-48
                陳独秀 議会と反対党の自由 1940
                魯迅と胡適の政治観 2007


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