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杜潤生「中国政治の民主化」2006/02

"三個文明 齊頭并進"(2006年2月6日)載《杜潤生文集(1980-2008)》山西經濟出版社2012年pp.1427-1428   これは杜潤生がハーバード大学の費正清と行った談話から採録されたもの。民主化の主張が明確に書かれている。杜潤生が、党内の民主派とされることをよく示す文書である。ただ私たちは、中国国内の民主派を根絶やしにし中国の民主化を困難にしたのは、中国共産党自身ではなかったかという疑問をどうしても抱いてしまう(写真は史跡湯島聖堂)。

p.1427  中国は民主的伝統の欠けている国家であり、歴史上すべて朝廷の交代を選べない制度(換朝換代不換制)である。「民は使われるものであり、知るものではない」の愚民政策は、皇帝の権(威)を維持するうえで、改めることの難しい道具(家法)であった。辛亥革命は、満族排斥を宗旨としたが、封建専制主義を革新するに至らなかった。
 孫中山が、(ソ連共産党と 訳者挿入)連合する前に(すでに)ソ連は革命を進めていた。(中国がソ連のシステムを 訳者挿入)機械的に採用する前に(搬用前)ソ連は(多党制でなく 訳者挿入)一党で国を治める体制であり、政党は一つ、主義が一つ、領袖の一人を長く続けており、加えてスターリンは無産階級独裁(専制)を実質上、党の独裁だと解釈した。この種の説明(定義)はいまだファシズム主義と違いを明確にできていない。(そして)ソ連共産党の「三つの独占」を導いた(導致了)、すなわち権力の独占、資源の独占、意識形態の独占である。ソ連が解体する前、このこと(三つの独占)と(ソ連のシステムを採用した中国は 訳者挿入)無関係でなかった(不無關係)。なぜなら独占は必然的に権力が牽制(制衡)を受けることを不可能にするし、自身を孤立化させ、大衆から遊離(脱離)させる。異なる意見の存在を当然許すべきであり、その合法地位を承認すべきである。真理はしばしば少数者の手にある。毛沢東もこう言っている。「党外無党、(これを)帝王思想(と批判しながら)、党内無派(とは)、奇怪なことだ(千奇百怪)」このこと(異なる意見の存在を許すこと 訳者挿入)は歴史の発展規律に合っている。
 我々の国家は市場経済を導入し(引進)、経済発展は高い水準での運行が保持されているが、政治体制は相対的に(改革が)遅れている(滯後)。我々は、党中央が、物質文明、精神文明、
p.1428  政治文明の3つを頭を揃えて併進させると提起したことを喜んで見たところであるが、これは良い端緒(開端)である。民主選挙、民主監督、民主牽制(制衡)が実効性がある形で推進されることを希望する。
 民主制がなければ先進性もない。民主的伝統の欠けている国家において、政治の民主化を実現すること、その任務は重く道は遠い、何倍もの努力が必要である。

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