見出し画像

馬洪 経済管理体制の改革 1981/07

馬洪改革論集 中国発展出版社, 2008 pp.67-88
(關於經濟管理體制改革的幾個問題 原載 經濟研究 1981年7期)この論文は1981年当時の意見の対立をよく記録している。なおこの邦訳として馬洪「経済管理体制改革にかんするいくつかの問題」『アジア経済旬報』1235号, 1982年中旬号,   3-26がある。以下は私福光の部分訳である。

p.67 一. なぜ経済管理体制の改革は必要か
 経済管理体制とは何か?経済管理体制はまとめていうなら経済関係である。経済体制はまた経済管理工作を含み、それ故にそれはまた上部構造(上層建築)にわたるものである。しかしその本質からすれば、それは生産関係すなわち経済関係である。そして経済関係は物質利益関係である。
 経済管理体制の改革とは、経済関係の調整と改善であり、国民経済中の各個方面の物質利益関係の調整と改善である。全民所有制経済中には、中央と地方の関係、国家と企業の関係、企業と企業の関係、企業内部の作業場間の関係、企業と職工の関係があり、このほか全民所有制経済と集体(集団)所有制経済、個体(個人)所有制経済の関係、さらにはそれらの内部関係がある。企業の自主権の拡大はすなわち国家と企業の間の経済関係の調整統制である。我々の国営企業はみな相対的に独立した経済組織であるべきで、活力に満ちた経済細胞であるべきだ。それぞれの国営企業は国家利益を統合して備えているとともに、国家利益とは異なる自身の利益も備えている。この点を我々は見るべきで、承認すべきで、正確に処理すべきである。このようにして我々は、国家と企業の関係、企業と企業の関係、企業と職工の関係を上手に処理でき、また各方面の積極性を十分に移動(調動)させることができ、4つの現代化事業に貢献(服務)できる。
 わが国の現行の経済管理体制は、一種過度に集中的で、行政管理を主とすp.68   る体制である。この体制は、その基本形態からいえば、ソ連において20世紀50年代スターリン後期のあの一種の体制と類似しており、この体制は多くの病弊をもっている。この病弊は以下の4条にまとめることができる。(1) 企業が行政機構の付属物とされており、企業の相対独立性が否定されていること。我々の企業はそろばん玉のようなもので、中央各個部門あるいは地方の各個庁局によって、上あるいは下へとはじかれる、押されたり動かされたり、自身の主導性は欠落している。また企業は主導性を持とうとも思わない。というのも我々の体制は企業の主導性を制限してきたからである。(2)行政の系統や区画に従って経済が管理されており、経済内的関係が分断されていること。たとえば、我々の企業は中央あるいは地方の主管部門を有し、細かく規則に縛られて管理されているが、主として縦の関係であり、横の関係は欠乏している。このことは大変多くの不合理な現象を生んだのである。(3) 上から下への指令性管理指標が過剰で、管理が過剰で行き過ぎ、生産者と消費者が直接対面できず、生産と消費は連携できず(產銷脫節)、生産と需要は連携できなかった(產需脫節)。かくして一方には大量の製造品(需要が?)が大量に積み上がり、他方大量の製造品がまた(消費や需要とは無関係に)生み出された。(4) 収入支出の一元化(統収統支)、「鉄飯碗」大好き(収支に無頓着)、「大鍋飯」を食らい、平均主義を行い、経済責任を負わず、経済効果を語らなかった。
 このような経済体制は社会主義経済発展の客観要求に適合しない。それは社会主義商品生産と商品交換を全力で発展させる要求に適合していないし、人民の不断に増加し変化する需要に適合しないし、最小の労働で最大の経済効果を得る要求にも適合していない。このような体制は計画上すべてを把握するやり方(大包大攬)であり、流通での統一購入統一消費(統購統銷)、労働での統包統配、財政での統收統支、なにもかも所有し、過度に集中を求め、主として行政手段で管理する方法で、経済を管理するのに経済手段を用いることを排斥するに至っている。こうした管理体制と方法で、社会主義商品生産と商品交換の迅速な発展を起こすことは不可能である。我々の現在の経済が活発でなく、経済効果が悪いこと、これらはわれわれの現行経済体制の病弊ととても大きな関係がある。
 我々はこの種の経済管理体制を長期に実行した。それは我々の社会主義経済性質の認識に原因がある。具体的に言えば、我々はこれまで社会主義経済を自然経済あるいは半自然経済とみてきたのである。現在我々は経済体制改革を進めねばならず、わが国の社会主義経済の性質に正確な認識が必要で、これは経済体制改革の方向、方針、政策、方法など諸問題の正確な解決の前提である。
p.69   わが国の社会主義経済の性質をいかに認識すべきであるか?この問題に対しては、現在なお異なる見方が存在している。比較的一致した見方は、わが国の社会主義経済を公有制を基礎とする計画経済と認識し、それが社会主義の商品生産と商品交換とを全力で発展させることを求めているとするものであって、その意義について、ある人は計画のある商品経済だといい、ある人は計画経済指導下の商品経済だと言っている。当然また、この種の言い方に同意しない人もいる。主要な論争点は、社会主義全民所有制交換の生産手段(生産資料)は商品ではない、という点である。ある同志は、それは商品でないと、(なお)考えている。この種の観点は過去において支配的だったものであり、現在も堅持する同志がいるのである。
 私は、社会主義経済を自然経済あるいは半自然経済とみることに対して、現段階のわが国社会主義経済は計画のある商品経済(有計画的商品経済)といいうると認識している。もちろん、我々社会主義経済の基本特徴は計画経済であり、我々社会主義社会の商品経済と資本主義社会の商品経済とは本質的に異なる。資本主義商品経済は資本主義私有制の基礎上に建立されており、同時に無計画である。社会主義商品経済は公有制が絶対優勢であり、また計画的である。社会主義の特徴を議論するときに、単に計画経済かどうかを議論するのは十分ではない。搾取制度の消滅、生産手段(資料)の公有制と労働に応じた分配、労働大衆と労働人民による政権の掌握、国民経済が計画がありそれに沿って発展すること、高度に発展した生産力と資本主義にまさる労働生産性、共産主義思想を核心とする社会主義精神文明などが含まれる。
 疑問がないのは、社会主義社会が商品生産と商品交換を全力で発展させる必要があることを承認することは、大きな進歩であり飛躍だということである。多くの同志はすでに社会主義制度のもとで生活資料が商品であるだけでなく、生産手段(資料)もまた商品であることを認識するに至っている。全民所有制と集団(集体)所有制の間の交換が社会主義的商品交換であるだけでなく、全民所有制内部の交換も社会主義的商品交換である。 
 理論上の進歩により、現在(では)、生活資料が市場に入ってよいだけでなく、生産手段(資料)も市場にはいってよい。たとえば鞍山鋼鉄公司もまた鋼材商店に売出を開始したが、これは過去にはなかったことだ。1979年に電気製品の市場化が開始された。総生産価値の計算では20%近く。1980年の予測ではさらに多くなり、一部の工場では70%から80%を占めるだろう(市場化されるだろう。)生産手段(資料)を市場化することになお不賛成の人もいるが、実践の結果をみるに、このようにすることは経済発展の促進に積極作用がある。これはまた経済体制が改革されねばならないことを明らかにしている(説明)。

p.70   二 経済管理体制改革の方向と要求
(中略)
p.72   (一) 国家が政策を決めることに過度に集中したシステムを、国家を主としつつ、国家、経済単位、労働者個人が連携して政策を決めるシステムに改めること
(中略)
p.74   (ニ) 単一計画調整を、計画経済を主としつつ、国家経済の指導の下、市場調節の補助作用が正確に発揮されるものに改めること
(中略)
(三)経済組織に依拠し、行政手段と経済手法を組み合わせた管理経済とすること
(中略)

p.76  三 中国式社会主義経済体制モデルについての着想(設想)
(中略)
(一)大企業の自主権が次第に拡大されることは、我々の全経済体制改革の基礎である
(中略)
p.82  (二) 大企業の自主権が拡大されたもとで、数十万の分散した企業組織が様々な形式の経済連合を発展させ、経済連合体あるいは各種の公司が生まれる
(中略)
p.84  (三) 協会あるいは連合会と呼ばれる、全国あるいは地域の業界組織が作られる 
(中略)
p.85  (四) 経済センターが発展する、その中心は工商業が発展した大都市である
(中略)
p.86 (五) 行政管理機関の職能は変化が求められる
(以下略) 

#社会主義 #商品経済 #自然経済 #馬洪 #自主権 #大鍋飯 #スターリン #計画経済


main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp