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品川神社の富士塚

 品川神社の富士塚は比較的新しいものであることが注意される。伝えられるところでは明治2年1869年に最初に作られた。ところが神仏分離令により一旦は破壊される。しかし明治5年1872年に再築された。
 その後、大正11年1922年に第一京浜道路の建設により、現在地に移されたという。第一京浜道路(旧明治一號國道、現在の国道15号、東京都中央区から横浜市神奈川区すなわち横浜港までを結んでいる)は、大正7年1918年から昭和5年1930年にかけて建設された。その途中には、大正12年1923年9月1日の関東大震災が挟まれる。この工事は大震災後は、震災復興工事の一つとして取り組まれた大プロジェクトだった。
 双龍鳥居の寄進は大正14年1925年であるから、大震災(大正12年1923年)をはさんで、富士塚(大正11年1922年)と双龍鳥居(大正14年1925年)がそろい、品川神社の現在の姿が整ったことになる。 
 なおこの富士塚が評価されるのは、15mの高さという大きさもそうだが、現在も「冨士講」が生きていて、富士講として「山開き」などの行事が行われている点である(富士塚の山開きを、神社や自治体の行事として実施している箇所は多いが、富士講として行っている例は少ない)。おそらくだが、富士塚の年代が、移築の年で言えば大正11年1922年と比較的新しいことが、このような「幸運」につながっているのだろう。
 なお富士塚の中には、安全などの観点から、登山できないものがあるなか、この富士塚は開放されていて、本格的な富士登山を楽しめるのはとても良かった。
 アクセス 京急「新馬場(しんばんば)」よりすぐ。

はるか山頂に向かう厳しい登山道
辿り着いた頂上からの目もくらむ絶景


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