責任を果たして満足する 先義後利 孟子
「先義後利」は有名な言葉で、商道徳を説いた言葉のようにも日本では理解されている(写真は湯島聖堂仰高門 2022年4月23日)。
孟子の梁恵(リアンホイ)王上が出典とされているが、出典だという意味は「先義後利」を孟子がここで教えとして説いたという意味であって、「先義後利」という言葉が梁恵王上に出ているわけではない。
孟子と会った梁恵王は、あなたはわが国にどのような利をもたらすのかと質問する。そこで孟子は、なぜ最初に利をいうのですか。義をあとにして利を先にいうのは、国を危うくします、王はただ仁義をいえばよいのです、と王に諫言している(苟為后義而先利,不奪不饜。爲有仁而遺其親者也,爲有義而后其君者也。王亦曰仁義而已矣,何必曰利。)。言葉としては「後義先利」が出ていることに注目されたい。
このあと、孟子は梁恵王に対して、仁政を行うことで民の支持が得られることを説いている。中国での解説本は、こうした内容をもって孟子はここで「先義後利」を説いたとしている。出典というのは、そうした意味である。国政における仁義が問題であるので、この言葉を商道徳に使うのは少し飛躍があるのかもしれない。
ところで論語に「先事後得」という「先義後利」と似た表現がある。これは巻六願淵第十二で、樊遲(ファンツー)という人が先生(孔子)に訊ねたことへの先生の答えのところにある。
「徳を高める(崇德)にはどうすればいいでしょうか。」。先生は答えた。「責任(事)を果たしたあとで満足するということが、徳を高めることではないだろうか。」(先事后得,非崇德與?)
こちらの方が一般国民の生活に合っているかもしれない。もちろんこちらで問題とされているのは、徳であって義ではない。ただ、国政の仁義は政治家ではない私たちにはかなり遠い話だが、自身の徳を高めるということは、私たち個人個人の目標かもしれない。そのような意味で、こちらの言葉を推しておきたい。
なお見出し写真は、湯島聖堂仰高門。昭和10年1935年竣工。これは木造に見えるが、木造ではなく鉄筋コンクリート製とのこと。
main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp