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計画経済の不在ー谷江幸雄『 ソ連経済の神話 』1997

   最近、そもそもソ連も中国も社会主義経済ではなかったという指摘が時々でてくる。計画経済といっても、数値は適当な目標に過ぎず、その数値は実態と大幅に乖離していたこと、また、市場を排除するはずが排除できず、市場による調整によって、経済活動が実は成り立っていたこと、などを指摘するものだが、そうした指摘をしたものの一つに谷江さんの本がある。この本はソ連についてであるが、中国についても同じようにいうことは多分可能である。ここでは批判的コメントは控えて引用だけ並べて置く(写真は国立国会図書館前庭)。谷江さんの命題は「計画経済の不在absence of planned economy」ということができる。
 谷江幸雄『ソ連経済の神話』法律文化社1997年

 1917年のロシア革命は、客観的にみると、資本主義の廃止を目指す社会主義の革命ではなく、日本の戦後改革と同じく・・・後進国ロシアの近代化と民主化をめざす政治改革だったのではないかというのが、私の仮説である。p.13
     「社会主義的工業化=農業集団化」といわれているものの内実は、スターリン政権によって強行された<上からの産業革命>であったとみるのが妥当である。p.13

     農民から収奪した資金を工業、特に生産財生産部門に投資し、重工業中心の工業化を実現する(としたプレオブランジェスキー) p.15
    個人農業を育成して農業生産の増大の力を入れ、軽工業を中心に徐々に工業化をはかっていくべきである(としたブハーリン)p.15

    集団化の過程では、農民の自発的加入の原則はふみにじられ、1000万近くの農民が「富農」としてシベリなどに追放されたあと、残った農民たちも強制的に自分の農地や農機具や家畜などをコルホーズの共有財産として取り上げられた。この過程では、農民たちは大量の家畜を屠殺することで、強制的集団化に反抗した。p.20

    実際にソ連でみられたものは「社会主義計画経済の不在」であった p.41

    歴代5か年計画の目標は実際はその半分も達成されていなかった p.50

    もはやソ連の5か年計画は単なる「スローガン」にすぎなかった、といわざるをえない p.52

   ミクロのレベルでは「目先の利益の追求」という計画性なき企業行動が一般化し、その結果、国民経済レベルの計画化も年度計画を含めて形式的なものにとどまっていた p.55
    工場・コンビナートや住宅・公共施設などの「未完全建設」比率の異常ともいえる高さ p.55
    1970年に73%、80年に87%     p.55
    基本投資計画がまったくずさんであったこと p.55

   実際の担い手である企業のレベルでは、長い間、5か年計画は作成すらされてこなかった p.57
    ソ連においてみられたものは・・・正しくは計画経済の不在という事実ではないだろうか p.57

  ソ連経済は実に多様な合法、非合法の市場型活動から成り立っており、国家の計画指令やノルマチーフ(中央計画当局が決定する計画目標のこと 福光注記)とともに、こうした市場型活動によって国民活動の再生産が調整・確保されていた。その意味で、ソ連経済は、一般にいわれるような「市場を排除した計画経済」ではなく、より正しくは「国家統制型の市場経済」であったのである p.89

経済経営用語辞典社会主義経済の不在 で採録) 
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