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Max Weber 1864-1920

ウェーバー By David R. Henderson
Cited from Econlib.com
著者は海軍大学院名誉教授、スタンフォードフォード大学フーバー研究所リサーチリサーチフェロー。

 Weberは、社会学の産みの親の一人である。彼の最も有名な本『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』で、彼は資本主義の種はプロテスタントが仕事を倫理的に行う所にあると主張した。
 しかしWeberは、第一次大戦前のドイツにおいて、広範な分業と、政治的官僚制に似た階層的組織hierarchial administrationという、進歩した資本主義の明確な特徴をとらえた経済学者でもある。この二つの特徴はともに新中間階級を作り出した。(そして新中間階級の立場は)物的な資本あるいは労働のいずれにもよらず、ただ彼らの人的資本human capitalに依存していた。Weberは発達した資本主義においても、進歩の主たる源泉は、ビジネスマンや経営者によりリスクが取られることにあると考えた。
 WeberはLudwig von Misesの社会主義計画経済批判を受け入れ、彼自身の議論(官僚制論)を付け加えた。彼は社会主義のもとで、労働者は依然として階層性hierachyの中で働くことになり、その階層性は政府と融合一体化するであろうと信じた。彼は、労働者の独裁ではなく官僚の独裁dictatorship of the officialを予測した。
 彼の前のDavid Hume同様に、Weberは価値自由の(価値観から離れた)社会科学の可能性を信じた。それにより彼が意図したのは、人は世界の在り方を研究することによって、世界が単純にどうあるべきかということについての結論をひきだすことはできない、ということである。Weberは、実行可能性や価値あるものとしての規範的分析を締め出さなかった。彼はただ経済学者に、事実と価値を区別することを求めたのである。
 ドイツに生まれたWeberは法律を学び、そしてイタリーとスペインの貿易会社についての研究で学位を取得した。彼は1894年にフライブルグで政治経済学の職を任命された、そして1896年にはハイデルベルグで政治経済学の職を任命された。彼は1898年に精神的な崩壊を経験し、1904年まで学術的な仕事を中断した。1904年からほとんどはハイデルベルグで在野の研究者private scholarであった。


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福光 寛  中国経済思想摘記
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