林白「某年的槍聲」『作家』2013年第3期
中國當代文學經典必讀 2013短篇小説卷 百花洲文藝出版社 2014,pp.124-129 (原載『作家』2013年第3期)。
著者の林白リン・パイは1958年生まれ。 1982年に武漢大学図書館系卒業。女性で在学中から詩作を始めた。女性の視点を生かした、女流文学者として知られるが、この短編では女性的な視点はあまり感じられない。
主人公道良は長年故郷に帰らなかったが、久しぶりに故郷に帰りこの1年ほどは住んでいる。2010年の今繁華街(大街)を歩いていると,1945年、唐家河中学に進学した当時が思い出された。当時、家から学校までは45里あり、学校の教室の後ろ側に住んで、土曜日に家に帰る生活だった。1946年に彼は浠川一中に転学。しかし1947年になると劉鄧大軍が近くまで進軍。中学も移動。彼もそれに従って国民党の戦時中学である武昌上臨時中学に移ったがもはや、きちんとした授業はなかった。町の様子が牧歌的に語られたあと、同窓の蔡君が、銃殺された思い出がかたられる。蔡君は貪管に日記の提出を命じられ、拒否する。かつ「それにあなたは字を知らない(你又不認識字)」といった。それが原因で銃殺されたという。ここで日記の検閲があり、蔡君は拒否しようとしたことが分かる。貪管と書かれているが、通常なら貪官(無茶な要求をする官僚)だ。多分、管は管教のことで、学校内の秩序維持のため、派遣されていた人物を指すのだろう。蔡君は日記の中で、海外に留学したいことや、全国が解放されること、これらの望みが実現しがたいことを書いていた。貪管は字を知らなかったがそれでも、(いやそれだからこそというのは私の読み方だが)銃声(槍聲)は鳴り響いた。
コメント:1946-47年の短期間に学校が何度も変わる混乱した社会や、新中国以前の店舗の描写は、リアルだ。考えさせられるのは、蔡君の悲劇、不条理は何を意味するのか。これが本当だとすれば、政治的なことでもなく、現場の監督者を怒らせた青年が、ただ無意味に虐殺されたことになる。この話は無意味に若者の命がむしり取られた、時代の残酷さを描いているのだろう。
ただ何回か読んでよく考えてみると、この話は完全に創作で、現実にあったこととは思えない。客観的に筆者は1958年生まれ。またどこにも事実に基づく話しとはしていない。したがってこの銃殺の話は創作である。ではどの程度ありうる話なのか?
1946-47年といわず、日本と中国とが戦争している間から始まることだが、国内での戦争により、学校の移転がしばしばあったことは事実である。そして国共内戦のとき、地域によりその混乱が極まっていたことは想像できる。ただ学校の管教だけで、学生の死刑を判断できるはずはない。日記不提出が原因で死刑というお話しは無理がある。最低限、直接に死刑を執行した地域の軍司令部を登場させて、最終的に日記の内容から、軍司令部の誰が何を判断したかがでてこないと、このお話しは成立しない。正直に言えば、死刑にするには日記だけでなくもっと大きな犯罪の証拠が必要だ。ところで著者の年齢は、文革のときに、著者は紅衛兵だった可能性が高い。このお話しの核である、日記不提出で死刑という無理なお話しは、1946-47年の中国のことではなく、著者が青年時代に経験した、文革期中国の現実を過去に無理に投影したものではないだろうか。
この小説は、この青年の死を事実として受け止めにくいという大きな問題を残す。作者は新中国以前の町の様子の記述に熱心だが、この青年の死について、もっと納得できるストーリーを丁寧に作るべきではなかったか。
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