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陳雲 計画と市場問題 1979/03

これは陳雲同志が書いた要点(題綱)である。1979年3月8日。《陳雲文選第三卷》第二版1995年244-247

(一)計画工作の規則:計画がありバランスが保たれていること(有計劃按比例)。この思想はマルクスに由来する。
 《資本論》は資本主義を分析した政治経済学の著作である。
 《資本論》は資本主義生産が無政府状態にあり、生産力の発展は必然的に生産関係と調和しがたい矛盾に陥り、最後に資本主義の滅亡に至ることを発見した。
 社会主義がなお一つの国家でも勝利する以前にあっては、マルクスが社会主義経済は計画がありバランスを保って比例発展するものだ(有計劃按比例發展的)と考えたこと、この理論は完全に正確であった。
  (二)1917年後のソ連の経済計画と1949年後の中国の経済計画、いずれもマルクスが言う所の計画がありバランスが保たれている(との言葉に 福光補語)に従って、行われたものである。
 当時、ソ連と中国はこうしたのは完全に正しかったが、しかし既存の社会主義経済制度の経験そして自国生産力発展の実際状況に基づくことがなかったので、マルクスの(計画がありバランスが保たれているとの)原理に対して発展を加えて、これは現在経済計画中に欠点をもたらしている。
 六十年来、ソ連あるいは中国の計画工作を問わず現れている主要な決定は、ただ”計画がありバランスが保たれている”の一条があるだけで、社会主義制度のもとではさらに市場調節が必要であるとのこの一条がないことである。いわゆる市場調節とは、価値規律に応じた調節であり、経済生活のある方面では”無政府””盲目”生産の方法を用いて調節してよいというもの。
 現在は計画が過ぎており、(計画に 訳者補語)含められるものがあまりに多く、必然的に結果として市場の自動調節部分が少ない。
 計画はまたいつも行き過ぎており、計画機構は日々の調整で手一杯になっている。
 市場調節が制限を受けており、計画は普及品(大路貨)について建てるしかなく、主要品種の数字が計画される。それゆえに生産は品種がさまざま豊富になりようがなく、人民が求める日用品は十分単調である。
 (三)社会主義の時期は二種の経済がなければならない:
   (1)  計画経済部分(計画がありバランスが保たれている部分);
   (2)  市場調節部分(計画を作らず、市場の需要の変化に応じて生産を進める、盲目性を帯びた調節部分)
 第一部分は基本的主要的な部分。第二部分は必需的であるが、従属的で次要的な部分。
 すでに政権を掌握しており、第一部分経済を保有しているので、社会主義を建設できる。第二部分はただ有益な補充ができるだけである(基本において無害である)。
 解放初期、ただ第一部分を掌握しただけであり、私人資本主義経済はなお存在している。しかしわれわれはなお社会主義国家である。
 我々は皮棉(綿花から種子を除いたもの)一斤(500g)を米8斤と定め、結果として綿花は大発展した。
 問題の鍵は、現在まで我々は意識的に両種の経済が併存することの必然性と必要性を認識するに至っておらず、両種の経済が異なる経済で異なる比率っで存在せねばならないことをはっきり理解していないことだ。
 それゆえ目前には以下の二種類の現象が存在している。
 厳格に(必ずバランスがとられるべきことが)そうではない。例えば
 基本建設の戦線が長すぎる;
 電力、運輸は先行せねばならないものだが、先行していないだけでなく、遅れている;
 原料工業と加工工業のバランスが崩れている、一般的に言うと加工工業が原料工業より多すぎる;
 鋼鉄工業内部のバランスが崩れている(比例失調);
 各工業部門間のバランスが崩れている;
 最大の問題は当然、農業と工業の間のバランスが崩れていることだ。
 緩めるべきことが緩められていない、例えば;
 計画権力があまりに集中している;
 農業の非計画部分が現在あまりに委縮して元気がない(太緊,太死),集団のものも個人のものもだ;
 地方の財力が建設に余りに熱心に使われ、それゆえに地方の財力が本当に活動的(機動的)とはいえない。
 (四) 市場調節部分を軽視した別の結果は、同志たちが価値規律を軽視したり、思想上「利潤」概念がないことにみられる。これは浪費家(大少爺)の経済であって、企業家が行う経済ではない。
 南スラブではソ連の攻撃を受けた後(これは1948年、ユーゴスラビアがソ連の属国になることを拒否して、独自の自主管理型と呼ばれる経済システムを作ったことを指している思われる 訳注)、手を緩めるしかなく(只有大撒手)市場経済部分を大発展させた。当時計画部分はほとんどなく、その後次第に計画部分を増加させた。
 (五) 我が国の社会経済の主要特徴は農村人口が百分の八十を占めることで、かつ人口が多く、耕地が少ない。
 計画機関と工業、商業部門の同志がこのことに深い(深刻的)認識がない。
 もしこの種の認識上の盲目性が正されなければ必然的に壁にぶつかる。
 ”農軽重”の順番(1959年の廬山会議で毛沢東が唱えた農業重視の考え方を指す 訳注)、これはマルクス主義と中国革命実践を相結合したものである。
 (六)今後経済の調整と体制の改革のなかで、実際上計画と市場この二種の経済の比例の調整はとても大きな比重を占める。計画経済部分がますます増加し、市場経済部分の絶対額がますます減るとは限らず、ともに相応に増加するだろう。

中国経済思想摘記目次

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