見出し画像

Arthur Cecil Pigou 1877-1959

ピグー By David R. Henderson
Cited from Econlib.org

 Arthur C. Pigouは英国の経済学者で、厚生経済学の仕事でよく知られている。その著書『厚生経済学』(訳注 The Economics of Welfare, 1920)でPigouはAlfered Marshallの外部性externalitiesーその行為を行う人が考慮してない、(その行為が)ほかの人に及ぼすコストあるいは便益ーという概念を発展させた。彼は外部性の存在は、政府の介入の十分な正当化になると論じた。もし誰かが、例えば公害のような負の外部性を生み出しているなら、(その人は)その外部性を生み出すことに過度に加わり過ぎている。Pigouはこのような活動を抑制するdiscourageするために課税を推奨した。(また)誰かがプラスの外部性を生み出している、例えば自身を教育することでほかにの人にとり自らを面白く役に立つ人にするとしても、彼がそのことを社会にとっての価値を認識しなければ教育には十分な投資をしないかもしれない。Pigouはこのようなプラスの外部性を生み出す活動には補助金を推奨した。これらは現在、pigou由来の(Pigouvian tax)(pigou由来の)補助金とそれぞれ呼ばれている。
 Pigouの分析は、Ronald Coaseが、もし外部性に影響を受けるなら外部性を生み出す人々と容易に(それを)取引できることを示した1960年までは受け入れられていた。Pigouの結論についての懐疑(主義)には(その後)公共選択経済学による、政府は市場と同じようにすることに失敗するかもしれないという意見が加わった。しかしそれでも多くの経済学者は、依然、ピグー税(Pigouvian taxes)を政府による基準の押し付けより、公害を扱う上でより効率的な方法として推奨している。
 PigouはCambridgeで経済学を学び、第二次大戦までCambridgeで講義した。1908年30歳のとき、彼は経済学でマーシャルの後任に任命された。Pigouは、マーシャル経済学をそのまま教え、しばしば彼の学生に「すべてはマーシャルにある」と言い張った。Pigouはその人生を通じて熱狂的な自由貿易論者だった。

   Yuichi Shionoya, "Arthur Cecil Pigou, 1877-1959" Hitotsubashi Journal of Economics, June 1965, pp.20-31

 以下はBritanicaのbibliography

 1877年11月18日England, Wright島Ryde生まれ。1959年3月7日Cambidgeshire, Cambridgeで亡くなる。
 CambridgeのKing’s Collegeで学ぶ。PigouはAlfred Marshallの最良の弟子のひとりとみなされてきた。Marshallが1908年政治経済学の教授を退職。PigouはMarshallの後任に任命された。PigouはMarshallの考え方の多くの拡張に貢献し、経済学のケンブリッジ学派として知られることになるものの理論的基礎を提供した。
 Pigouの最も影響力のある仕事は『厚生経済学』(1920)であった。その中で彼はMarshallの外部性の概念ーそれを生み出した人が考慮しなかった、ほかの人に生ずるコストあるいはもたらされる便益ーを発展させた。Pigouは負の外部性は税金により、プラスの外部性は補助金のより相殺されるべきと論じた。1960年代前半にPigouの分析はRonald Coaseにより、税金や補助金は必要ない、と批判された。ーパートナー間の取引なら、外部性に影響された人はそれを根拠にそのことを取引できると。
 Pigouは彼の経済分析を、失業、公共財政を含む多くの問題に応用した。彼は所得に関する王立委員会(1919-20)そして二つの通貨についての委員会にも貢献した(1918-19 ; 1924-25)。



main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp