春蠶到死絲方盡-畢飛宇「虛擬」『鐘山』2014年第1期
2014中國短篇小説排行榜 百花洲文藝出版社 2015,pp.1-13(『鐘山』2014年第1期原載) 著者の毕飞宇ビー・フェイユウ は1964年生まれ。出生は江蘇省興化市。揚州師範学院卒。現在は南京大学教授とのこと。
今年の冬は特に寒く、昨年直腸がんの手術をした祖父が春節まで持たないのではないかと、父は言っている。この小説は、中学(日本の高校)の物理の教師であり、長く校長を務めた祖父と孫である私、そして父の、その冬に祖父が亡くなるまでの物語である。祖父は朝早くから夜遅くまですべての時間を学生に費やすほど教育熱心で、受けもった学生の多くを大学に進学させた。別の中学にいた父は、(結果として祖父の愛を受けることなく試験に)受からなかった。祖父は父に補習に行き、専門学校に進学を勧めたが、父は春の蚕になれとの提案を拒絶した(春の蚕には死ぬまで糸を吐き続けるという寓意がある)。父は祖父の筆跡を真似た手紙を教育局長に出して、息子に仕事の世話を依頼した。祖父は当時県内では有名で、省でさらに昇進の可能性があった。こうして父は教育局に定年までの職を得ることになった。一か月後、祖父はこのことを知り、教育局の父の事務室に行き、家に帰って大学に行けとどなったが、もはやどうしようもなかった。以来、父は祖父の一生にわたる痛みになった(父親是祖父一輩子的痛・・・始終長在祖父的體内。)。私に大学から入学許可が届いた夜、祖父は家での宴会で飲み過ぎた。トイレで祖父は介助する私の前で初めて泣いた。祖父は私を父と取り違えていたが、トイレの前で跪いて「悪かった(對不起)」と一言言った(それは父へのわびだったのか。あるいは飲み過ぎたときの、トイレでのいつもの振る舞いだったのか。)。祖父が亡くなり、各界で地位を得た教え子たちが花輪をささげた。それは決して虚偽(虛擬)ではない(世界就在這裏了,我親愛的祖父,你桃李滿天下,這從來就不一件虛擬的事。)。他方、父は祖父の遺体のそばに立ち続けたが、ほんの一瞬も敬愛の情を示すことはなく、その目は自ら手帳にしたためた「春の蚕は死ぬまで糸を吐き続ける ろうそくの蝋は灰になり形がなくなるまで燃え続ける」という句の後段にあった。
コメント:最後の「春の蚕」(春蠶到死絲方盡)の解釈で迷う。まずこの詩の中国での解釈例をここに置いておく。「春の蚕」をどう解釈するか。
この詩(春蠶到死絲方盡)は出会った人を、死ぬまでひたすら思い続けるという愛情の歌だが、後段で、道なきところ(無多路)に居るー(無多路には近くにいるという解釈もある)相手への思いを青鳥に託している。もとの句は、ひたすら思い続ける愛情を示した漢詩の中の句である。それゆえすでに述べたように、死ぬまで思い続けるという、男女間の愛の意味で使うことがある。
ただここでは祖父のことを指すのであるから、自ら喜んで身をささげて貢献する人の意味。献身的な教師をたとえる意味で使っているのではないか。「乐于助人:進んで人を助ける人」「乐于奉献的人」。
そしてこの表現を父は祖父を形容するのに用いているわけだから、通常であれば賞賛あるいは肯定的ニュアンスの言葉を、そうした祖父の生き方を肯定できないという否定的ニュアンスで父はつかっているのだろう。
父にとって、そうした祖父の生き方は虚偽。だが祖父の薫陶を受けた人々にとっては虚偽ではなかった。そうした複雑な関係にある。
大学に進まず、祖父の手紙を偽造して、教育局にポストを得た父にとり、祖父はどういう教師であったか。父にとり祖父はいい教師、いい父親ではなかった。そして父は、祖父に対して、葬式の場で敬愛の情を示さないことで、積年の鬱屈した祖父への思いをぶつけているのではないか。
つぎのようなこともある。或る学者が立派な学問的業績を上げたが、家族を顧みなかったとする。家庭人として彼はいい夫、父とはいえない。ただ彼は学会では大学者であると。しかし妻も子供たちも、この父が大学者とされることに鬱屈した思いを抱えているとする。学者の中には糟糠の妻と離婚する人もいる。こうした話はしかしよく側聞する。
この小説の著者ビー・フェイユウ(畢飛宇)には「大雨如注(大雨が降る如く)」という作品もあるが、本作もそうだが、心に深く刺さる。