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中国経済学史

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#社会主義

ブレマー 国家資本主義の成長 Foreign Affairs, May/June 2009

Ian Bremmer, State Capitalism Comes of Age, Foreign Affairs, May/June 2009, Vol.88 Issue 3 抄訳 用語 国家資本主義 state capitalism: 国家主導型資本主義 政府系ファンド sovereign wealth funds   デカプリング decoupling: 途上国経済が欧米に対し自立性を高めること   自由市場の終焉  合衆国、ヨーロッパ、そしてそ

姓社姓資論争 中国経済用語

 株式会社制度を導入する際に中国で行われた論争。1990年代初頭。導入支持派は株式会社そして株券市場の姓は社会主義であって、資本主義ではないと論じた(以下は《中國的股份公司與股票市場:姓“社”不姓“資”》在郝繼倫著《中國股票市場發展分析》中國經濟出版社2000年, 9-10の翻訳)(写真は成城大学。左が8号館。右が5号館。)  中国社会主義制度のもとにある株式会社そして株式会社(股份公司)と互いに補完的制度として設立された株券(股票)市場の姓は、社会主義かあるいは資本主義か

新中国の社会主義とその経済学の歩み

                      福光 寛 (お問合せ先)  中国経済学の歴史を俯瞰しようと考えているのですが、まだその作業は出だしの段階です。今回2019年の春夏講座では、その最初の試みとして、孫冶方(スン・イエファン 1908-1983),薛暮橋(シュエ・ムーチアオ 1904-2005),于光遠(ユー・グアンユアン 1915-2013),顧准(グー・ジュン 1915-1974),杜潤生(ドウ・ルンシェン 1913-2015)の5人を取り上げました。いずれも、こ

張五常 中国的経済制度 2009

この本は英語のあと中国語がくる。それで中国語の部分から読むといろいろ疑問が残った。で英語で見ると、主張は明確で疑問も残らない。ということは英語版を最初から読んだ方が良かったかもしれない。内容は彼、張五常がどのように、中国の改革にかかわってきたかを語ったもの。ところどころ自慢話に見えるところもあるが、それだけ天才肌で自信、自負の高いひとなのだろう。  第一節で提起される問題は、腐敗、言論統制など、極めて多くの問題を抱えながらも中国が急速に発展したことは事実、それをいかに

衛興華《社會主義經濟學》2004

陳東琪主編《1900-2000中國經濟學史綱》中國青年出版社, 2004より第1章社会主義経済学pp.1-22 を抄訳。この章の分担執筆者は中国人民大学の衛興華(1925-2019)である。(写真は成城大学1号館中庭 2019年6月21日) p.1 第一節 社会主義経済学の萌芽時期    一、社会主義経済学の最初の探索  20世紀に入るところで、マルクス主義が中国に伝播し世界で最初の社会主義国家ソ連が建設され、社会主義生産関係を研究対象とする社会主義経済学が生み出され

馬洪 社会主義市場経済の特徴 1994/05/17

鄧小平是社會主義市場經濟理論的奠基人 在青島一次會上的講話 馬洪經濟文選 中國時代經濟出版社 2010 pp.223-227, esp.225-227 (なお写真は傳通院山門 2020年6月20日撮影) (この文章は鄧小平を称えた文章の中の一節。1994年であるから馬洪がすでに74歳のときの文章。鄧小平を議論した部分も興味深い。鄧小平は「計画経済が主で市場経済が補」という党の十二大の提起から一歩進めて「社会主義と市場経済の間には根本矛盾は存在しない。問題はどのような方

劉國光「社会主義商品経済の理論問題」1991年10月15日

劉国光改革論集 中国発展出版社 2008年 pp.76-93 這是作者在中共中央黨校作的學術報告的節選 1991年10月15日 p.77 一 計画のある商品経済に対する異なる理解  社会主義商品経済理論は改革以来、わが国経済理論界の重要な突破性成果 である。それは社会主義経済は計画がある商品経済だということで、この理論は経済改革の最重要の理論基礎の一つである。マルクス、エンゲルスなど古典作家は未来の社会主義社会では、もはや商品経済は現れないとかつて考えた。(そして)その後の

社会主義の建設(薛暮橋「中国社会主義経済問題研究」第1章1979/1983)

薛暮橋「中国社会主義経済問題研究」(1979年人民出版社 なお1980年外文出版社から邦訳 手元の1983年版を原書として引用する。) → 最初の第1章では、中国で社会主義化のために取られた措置(共有化 協同化)が、その生産力の水準と対応していなかったために、かえって生産力を低下させたことがまずと指摘される。共有化・協同化で、労働の成果が、個人に帰属しなくなり生産の意欲が損なわれたことが重要だと思われるが、その点は書かれていない。農業に関しては、生産単位を小さくすること、個人

楊偉名《當前形勢懷感》又名《一葉知秋》1962/06

 この文書のことは、胡德平《中國爲什麽改革-回憶父親胡耀邦》香港中和出版有限公司2011年pp.30-39で《“一葉知秋”的萬言書-中國爲什麽改革之一》と題された巻頭に置かれた章を読んだときに、初めて知った。早速、楊偉名《一葉知秋-楊偉名文存》社會科學文獻出版社2004年を入手。以来時々、拾い読みをしていたものの紹介までに至る時間がなかなかなかった。いま少し時間があるので、楊偉名の紹介をしたい。(写真はヒペリカム・ヒドコートだろうか。竹早高校傍で出会った。)  楊偉名(ヤン・

共産党の対国内経済改革 1949-1973

區慕彰 羅文華《中國銀行業發展史 由晚清只當下》香港城市大學出版社2011年pp.83-88 p.83 三年にわたる国共内戦を経て、1949年、中国共産党は北平(北京)において中華人民共和国成立を宣言(宣佈)した。国民党は台湾に退き、中共が大陸の唯一の執政党になった。  正に経済方面を重視して、中共は新中国政権まだ正式に成立(建立)する以前に、全国の財政経済を処理する専門機構の設置に着手した。1949年5月、党中央は、全国の財政経済工作を統一指導する中央財政経

劉少奇 天津講話 1949/06/04

(1949年6月4日 劉少奇が民主党派および党の各クラス責任者を前に行った講話である。労働者による争議の拡大、経営者資本家の逃避により、社会の混乱が広がる中、劉少奇は天津にゆき、現地の産業界そして党幹部と懇談。この講話はその直後のもの。天津でなにがあったかを報告したものと思われる。その核心部分、劉少奇が資本主義搾取を肯定したとされ天津講話として批判された該当部分を訳出する。ここで確認できる資本主義肯定のロジックは2つ。一つは迅速な生産の再開・拡大、それは失業者を救済するために

鄧子恢 私人資本を援助せよ 1949/10/31

(解題)論華中城市建設新方針。這是鄧子恢在中共武漢市代表大會上的報告。鄧子恢文集,人民出版社,1996年,pp.237-258 (新民主主義段階の経済の在り方についての鄧子恢(トン・ツーホイ 1896-1972)の議論である。大変明快に私人資本の発展を認めることを打ち出している。つまり、彼の考えでは、私人資本を発展させることが、この段階、つまり新中国建国にあたっての政策課題だった。こうした穏健な政策がとられていれば、戦後の中国の様相は大きく変わったのではないか。)(写真は礫川

劉國光 社会主義経済中の計画と市場1979/05

劉囯光改革論集 中國發展出版社 2008 pp.3-29 本文的不同摘要曾載于《經濟研究》1979年第5期等報刊。這裏發表的是全文,是作者與趙人偉合寫。(市場を計画に結ぶ付けることをいち早く提起した論文で内外の注目を集めた。中央党校、国家計画委員会、中国社会科学院などの内部刊行物にも転載されたとのこと。) p.4 現在、全党の工作の重点は、まさに社会主義現代化建設に向かいつつある。この変化に適応し、わが国国民経済の安定した発展を保証するためには、我々は過去30年の経済建

馬洪 経済管理体制の改革 1981/07

馬洪改革論集 中国発展出版社, 2008 pp.67-88 (關於經濟管理體制改革的幾個問題 原載 經濟研究 1981年7期)この論文は1981年当時の意見の対立をよく記録している。なおこの邦訳として馬洪「経済管理体制改革にかんするいくつかの問題」『アジア経済旬報』1235号, 1982年中旬号, 3-26がある。以下は私福光の部分訳である。 p.67 一. なぜ経済管理体制の改革は必要か  経済管理体制とは何か?経済管理体制はまとめていうなら経済関係である。経済体制は