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中国経済学史

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2021年3月の記事一覧

東清鉄道 中国経済用語

   東清(中東)鉄道の建設(1897-1903)問題。戴建兵等《話説中國近代銀行》百花文藝出版社2007年pp.35-37の翻訳 ロシアによる東清(中東)鉄道建設が、日清戦争後、三国干渉を契機に、清国内にロシアの進出を歓迎する気持ちが高まったことが一因で、受け入れが決定されたこと(1896年)。その建設(1897-1903)の結果、東北が欧州とむすびつくようになったことが分かる。つまりロシア革命以前から、ロシアの進出を歓迎する考え方が中国内部に存在したことは興味深い。逆にこ

交通銀行の歴史 1907-1987

 區慕彰     羅文華《中國銀行業發展史  由晚清只當下》香港城市大學出版社2011年pp.52-56 p.52  交通銀行、名称から分かるように(顧名思義)交通と関係がある。確かに交通銀行設立は、中国の早世期の鉄道建設を大いに源とする。  ほとんどすべての現代化に関係することは中国に入ったときはそうであるのだが、中国人は理解できないもの(異類)と見なしたが、鉄道もその例外ではない。現在、中国に次第に高速鉄道が使用され始めているが、清朝末期において、鉄道は一度ならず「怪物

中国銀行の歴史 1905-1949

 區慕彰     羅文華《中國銀行業發展史  由晚清只當下》香港城市大學出版社2011年pp.47-51 p.47 中国銀行の前身である、清末の1905年に設立された大清戸部(財政部)銀行は中国で最初の政府関係(官方)銀行である。1908年に同行は大清銀行に改組され、1911年に大清銀行は全国で最大規模の銀行となり、その役割(功能)は相当程度当時の中央銀行であった。  1912年2月に溥儀が退位し清朝は正式に滅亡し、大清銀行もこれに伴い、改められた。中華民国が成立後、孫中山

華商股票交易機構の発展1870-1920

馬長林 華商股票交易機構の発展1870-1920 馬長林《中国古代金融》中国国際廣播出版社2011年pp.61-66 p.61   二 中国人商人(華商)の股票交易機構の曲折発展  19世紀70年代から80年代初め、外国人商人が上海で開業した貿易会社(洋行)は p.62  日増しに増加。1870年に上海の外国商人貿易会社はすでに200余りを数えた。通常各貿易会社は一人あるいは数名の代理人(買辦)を雇ったので、代理人の数は継続して増えた(與日俱增)。貿易会社へのサービスの過程

七七事変から太平洋戦争までー宋子文     1937-41

 盧溝橋事変は1937年7月7日であるので七七事変ともいう。この日本軍部の策動は、中国国内を抗戦つまり抗日で一致させる効果があった。ここから1941年12月7日の太平洋戦争勃発までを宋子文の動きを中心にみる。  記述は王松《宋子文全傳》團結出版社2017年pp.194-215による。  宋子文は1933年10月に行政院副院長、財政部部長といった職務を辞職している。しかし1933年4月には中央銀行懂事長,中央銀行常務理事、全国経済委員会常任委員会、中国銀行懂事長になっている。