四川での趙紫陽 1975-1980
1975年に趙紫陽は広東から四川に入った。ここで5年の治世を経験し、1980年に党のトップに躍り出る。趙が四川にはいったとき、四川の人口は9000万を超えていた。重慶市(10.3万平方キロ)が直轄市として分離される(1997年)前、四川の面積約57万平方キロは日本の1.5倍である。省のなかでは最大の大きさである。趙紫陽は1980年2月に中共中央政治局常任委員となる。8人に常任委員のなかで最下位だが。3月に中央財政経済領導小組が設けられその組長に就任。4月には国務院副総理とな