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中国経済学史

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2020年3月の記事一覧

四川での趙紫陽 1975-1980

 1975年に趙紫陽は広東から四川に入った。ここで5年の治世を経験し、1980年に党のトップに躍り出る。趙が四川にはいったとき、四川の人口は9000万を超えていた。重慶市(10.3万平方キロ)が直轄市として分離される(1997年)前、四川の面積約57万平方キロは日本の1.5倍である。省のなかでは最大の大きさである。趙紫陽は1980年2月に中共中央政治局常任委員となる。8人に常任委員のなかで最下位だが。3月に中央財政経済領導小組が設けられその組長に就任。4月には国務院副総理とな

趙紫陽と企業自主権回復の試み 1978-80

以下は、向嘉貴《四川擴大大企業自主權試點紀實》載《趙紫陽在四川(1975-1980)》新世紀出版社2011年,58-64を適宜まとめたものである。  1978年10月から80年まで。まだ趙紫陽が四川省委員会第一書記だったとき、四川において、企業に自主権を回復させる大規模な実験(試点)が行われた。最初、十一届三中全会前に6社。1979年に100社。1980年に417社。与えられる許可権は最初の6社の時14項目(條)。100社の時12項目、417社のときは20項目を制定。自主権

朱鎔基 改革開放は上海発展の動力 1991/03/13, 15

朱镕基上海讲话实录,人民出版社,2013年,pp.590-594(この原稿は1991年3月13日および15日に朱鎔基が上海の改革の状況を説明した会話をまとめたもの。)(写真は1990年9月27日 上海市第九届人大常任委員会における朱鎔基。)      改革開放は上海発展の動力である。我々の改革の目標は今世紀末以前に、商品経済を計画する社会主義(社会主义有计划商品经济)を発展させる要求にもとづいて、中国が創造した、計画経済と市場調節とが結合した運行メカニズムを実現する(具体化