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中国に関連して生じた事実

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https://blog.goo.ne.jp/fu12345/e/7cc5e1ad373775c11668b88a748c64a6 政治的文化的側面を中心に年代順に採録。
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#文化大革命

大西広『西側民主主義』を拒否する中国 を読む

 大西広さんは京都大学から慶應義塾大学に移った研究者で、中国の政治制度に詳しい。すでに慶應も退職されて慶應大学名誉教授。取り上げる論文は『季刊経済理論』第59巻第4号、2023年1月、33-44に掲載されたもの。 中国が欧米型民主主義を取り入れないことを私は正しくないと考えるのだが大西さんは、この論文で、そうした中国の立場を肯定するロジックを書かれている。また中国の政治制度を弁護されて、それは多数決民主主義よりは良いものだとされる。今回、丁寧に読む時間があったので、大西

民主化についてのー胡鞍鋼、李羅力、吳敬璉の議論(2019/05/13)

民主化についてのー胡鞍鋼、李羅力、吳敬璉の議論  福光 寛  胡鞍鋼《中國崛起之路》北京大學出版社,2007 pp.198-204(王京濱訳『国情報告 経済大国中国の課題』岩波書店, 2007 pp.104-110)ここでは胡鞍鋼を引くが中国の経済学者の中国経済に関する議論をみるとき、一つの注目点は政治改革の問題の扱い方である。胡鞍鋼の本書での主張は、共同綱領で見られた民主党派との連携という政治の在り方がその後失われたことを問題にしているが、この問題は事実関係としてはよ

楊天石, 沈志華 中国史公開講座 upload in 2019-2020

楊天石*(1936-)(中国社会科学院)蒋介石日記和蒋介石其人 2019/10/01                      24小時大講堂(北京圖書館) 蒋介石は共産党の闘争土改に対して、孫中山の和平土改 双方贏改の方針を受け継いだが大陸では実行できなかった。このことが最終的に大陸を失う大きな原因になった。共産党の廃除私有制、階級闘争、暴力革命に対して、蒋介石は保護合理的私有制、階級合作、非暴力改革を唱えた。国際的には、中国の版図外の被抑圧民族の独立を支持した。大陸

王復興「文革中の心の歩み(上)」2018

訳出の対象は王復興「我的文革心路歴程」『中外学者談文革』中文大学出版社2018年pp.305-316 これを2回に分けて訳出する。今回はpp.305-309まで。著者は1965年に北京四中高中を卒業、同年北京大学歴史系に進学。在学中に文化革命を経験。現在は米国在住の民間文革研究者。 1940年代、王復興のお父さんは米国で中国共産党の政策を宣伝する新聞を発行するというかなり特殊な仕事をしていた。そのお父さんが1957年の反右派闘争で右派とされ、以降、著者の家族は鬱屈した生活を

王復興「文革中の心の歩み(下)」2018

訳出の対象は王復興「我的文革心路歴程」『中外学者談文革』中文大学出版社2018年pp.305-316 これを2回に分けて訳出する。今回後半はpp.309-316まで。著者は出身家庭に問題があるとして、紅衛兵活動に加われないなどの「屈辱」を経験する。そこから極左派に批判的になってゆく。さらに卒業後、1971年の九一三事件(いわゆる林彪がロシアに亡命しようとした事件)、さらに1975年の天安門事件を経て、文革やそれ以前の教育の影響から次第に離れたことがつづられている。 p.3

柯隆『中国「強国復権」の条件』慶応義塾大学出版会2018年4月

 中国人の経済学者が中国を語るとき前提にしている知識は何だろうか。それを考えるとき、時々戻るのが柯隆(クー・ロン)の著作だ。この本は慶應義塾大学出版会2018年4月の出版(正面奥に成城大学図書館)。  柯隆は1963年中国南京生まれ。1988年来日、愛知大学法経学部を経て名古屋大学大学院経済学研究科で学び、現在は富士通総研のエコノミスト。つまり日本式経済学にしっかり浸かった人であるためか、その議論の組み立てや問題意識はとても理解しやすい。でもやはり中国人なので、読んでいてあち

趙平『私の宝物 泣き虫少年のあの日の中国』連合出版2017年1月

 趙平(チャオ・ピン 1956-)という人の日本語小説。住んでいた場所は貴州省貴陽市。この人の経歴は、1966年文化大革命で貴州省工業局の幹部だったお父さんが走資派として批判されたことで小学校を退学。紅小兵を経験してから13歳から工場勤務。ただ英語の家庭教師を受けて英語を習得。英語通訳として働いたあと。1978年には統一試験に合格して四川大学に入学。ここで日本語を学び、さらに天津外国語大学大学院を経て日本には1991年留学。阪神淡路大震災で被災の経験もして2001年に帰国。と

張博樹『六四以来の中国政治思潮(2015)』2019

 翻訳は張博樹著 石井智章ほか訳『新全体主義の思想史 コロンビア大学中国講義』白水社 2019年。元のタイトルは張博樹《改變中國:六四以來的中國政治思潮》2015年。翻訳で読んでタイトルと中身の違いに驚いた。改めて原題を見て、この翻訳のタイトルは誰がつけたのか、悪いことをしていると思った。この本の中身は、中国語のタイトルが示す内容だ(写真は成城大学成城池傍の緑陰)。  思想史というアカデミックなタイトルと、この本の内容には大きな齟齬がある。これを思想史として白水社が出版したの

王德禄「高考1977:永遠の感動」1976-1993, 2014出版

 王德禄は1977年の高考組だが、自分の希望したところとは異なる華東石油学院(現中国石油大学)物理系に合格する。挫折なのだが、そこから立ち直ってゆく。進学時、学校はまだ整備途上。設備環境のひどさが語られる。 改めて思うのは(日本でも同じだが)、みんなが北京大学や清華大学など一流大学に行くわけではないということだ。では准一流とか二流に進んでからどうするか。そこで待ち構えているもには何で、それにどう対峙するのか。教員に関しては(日本でも同じだが)、どの大学にもいろんな先生

朱嘉明《中國改革的岐路》2013年1月

ここでは朱嘉明(チュー・チアミン 1950-)の1950年出生から1979年までをたどる。朱嘉明 《 中國改革的岐路》聯經出版 2013年1月,16-30 文革のところ四三派ー四四派の分裂のところはわかりやすい(写真はNTTドコモビル 2019年11月30日)。以下は内容のあらすじである。 嘉明の先祖は清朝の役人だった。頤和園の建設に関係していたのでお爺さんは頤和園の中で育った。ただ文革のときに家譜にあたるものをなくしてしまった。父親が1913年生まれ、母親は1917年

朱嘉明先生訪談録:1958-1967

 朱嘉明『中国改革的岐路』聯經(臺北市)2013年1月pp.16-25(1958年小学校への進学から1967年文革2年目まで)。中国の文化大革命について、外部から見ていて釈然としないのは、殺人や文化財の破壊を行ったことの責任が、今も問われていないことだ。これについては、文化大革命だけでなく、そこに至るまでの中国の近代史をみても、同様の殺人や文化財の破壊があること。文化大革命に限定して言えば、その主犯は幹部の子弟と目されること(宋彬彬について)などを指摘できよう。  ところで文

北島/曹一凡/維一編《暴風雨的記憶》2012/03

  正式のタイトルは北島/曹一凡/維一編「暴風雨的記憶 1965-1970年的北京四中」生活・読書・報知三聯書店2012年。北京四中卒業生の回顧録(なお写真は名古屋駅前ビル 2019年11月17日夕刻)。ただ名前を連ねる人たちは皆社会的に活躍している著名人が多い。北京四中というのが、北京のエリートの集まるところだったことが分かる。しかしその四中も文化大革命の惨劇は、避けることはできなかった。掲載された文章はいずれも文革の実相を示す点で興味深いがここでは、文革期の惨状をかなり明

趙京興「私の読書と思考(上)1966-1967」2012/03

 訳出の対象は趙京興「我的閲読与思考」『暴風雨的記憶』三聯書店2012年3月pp.341-362。その前半pp.342-355を2回に分けて訳出する。今回はpp.342-349まで。  「社会主義社会」は、一面で共産党の高級幹部という新たな貴族を作り出した。そこで出てくる疑問は、文化大革命というひとくくりにされる動きの中に、実は中国社会の現状に対する疑問や批判も隠れていたのではないか?というのが、この趙京興の文章から浮かび上がる疑問である。最初に趙京興は社会が教える人生観に疑

趙京興「私の読書と思考(下)1967-1969」2012/03

訳出の対象は趙京興「我的閲読与思考」『暴風雨的記憶』三聯書店2012年3月pp.341-362。その前半pp.342-355を2回に分けて訳出する。今回はpp.349-355まで。  まず北京図書館が文革のさなかに開放されていたことと、その様子が興味深い。閲覧者同志の交流も貴重な記録といえる。そしてそのあとだが下放を避けようとする、この人のロジックが興味深い。自分はただしく理論を理解することで貢献したい、ということをはっきり主張している。しかし私の考えでは、さまざまな思考が許