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朱鎔基 1928-

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朱鎔基(1928-)朱鎔基は清華大学出身。朱鎔基は政治家の道を歩むが、大変途中で苦労した。北京大学に進んだ厲以寧(1930-)についてもここで扱う。厲以寧は株式制度の導入で功績。
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#馬洪

朱鎔基 6年研鑽後放逐20年 1952-79

 鄭義編著『朱鎔基台上台下』香港文化芸術出版社2009年pp.56-75を適宜参照とりまとめ。(写真は東京ドーム外観) 既に述べたように朱鎔基はまず東北工業部に配属された。この時、東北局委員である経済学者馬洪と知り合っている。1952年12月東北工業部は解消され、国家計画委員会が組織される。当時、中央は地方幹部を中央に集める政策をとっている。東北局からはおよそ100人が北京に異動するが朱鎔基もその一人として国家計画委員会に異動し、1958年まで6年間、中国の工業化をこ

朱鎔基 上海市人民大会の講話 1988/04

在上海市九届人大一次会议上的讲话(1988年4月25日)。(朱鎔基、朱鎔基上海講話実録、人民出版社、2013年、pp.37-57。写真は4月25日当日、まさに講話を行っている朱鎔基)  同志の皆さん。大会(事務局の)ご配慮で、これから皆さんに自己紹介をします。(しかし)大会規定の時間を超えるかもしれません。もし(ここで)私が話さなければ、この関門を通ることができませんし、短時間では問題を出せませんし、私自ら十分説明したことにもなりません。  最初に私の略歴です。私が革命に参加

厲以寧 共同富裕を論ずる 1992

論共同富裕的經濟發展道路 本文原載北京大學馬克思列寧主義研究所編《馬克思主義與中國社會主義現代化》 厲以寧改革論集 中國發展出版社 2008年 pp.72-91, esp.73-74(厲以寧は、社会主義について共同富裕、誰もが豊かになることに本質がある、と論じている。教科書的で決しておもしろい文章ではないが、思考の枠組みとして参考になる。最初に両極分化であってはならないと始めて、しかし最初はそうできないことを説明している。そこで問題は、社会主義経済を名乗る以上、両