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私の東京案内

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https://blog.goo.ne.jp/fu12345/e/d9a67ddc8dd6cee344b91ed806f465fa  路線別「あいうえお」順配列。
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#台東区

鳥取藩池田家上屋敷表門

 上野の東京国立博物館の敷地の中にあるが、道路沿いなので外から見学できるのが旧因州池田屋敷表門(鳥取藩池田家上屋敷表門)。東京大学の赤門に対して黒門と呼ばれる。元は丸の内三丁目、つまり東京国際フォーラムあたりにあった。明治時代東宮御所正門として使用されてのち、高松宮邸に引き継がれることで、保全されたともいえよう。屋根の形は赤坂にある岡崎藩本多家屋敷門は切妻だったが、こちらは入母屋。左右に唐破風(からはふ)屋根の番所を備えるのは東京大学の赤門と同様に、格式の高さを示すもの。なお

浅草寺のイチョウ

 治承4年1180年、後白河天皇の第三皇子である以仁王(もちひとおう)はかねて平氏に恨みがあり、源頼政の進言に従い、平氏討伐の令旨(りょうじ)を出した。鎌倉にいた源頼朝は迷ったものの挙兵するが、小田原の戦いで大敗。一旦、房総に逃れ、再度軍備を整えて江戸川を渡り進軍する。そのとき、浅草寺(せんそうじ)に参内し戦勝を祈願した。その際に頼朝が植えた苗が育ったとの伝承がある。この伝承に従えば、樹齢800年あまりの古木になる。こうした戦勝祈願の由来をもつものとして「馬場大門のケヤキ並木

延命院のシイ

 延命院は日暮里にある日蓮宗の寺院。ここにあるシイノキは東京都の天然記念物として知られる。幹周5.4m、樹高15m、樹齢600年とされる。延命院は、日暮里から谷中銀座方面に歩いて、本行寺、経王寺を過ぎてすぐである。求めるシイノキも、延命院の入り口近くにある。なお繁茂している姿から意外なのは根本部分である。大きな空洞ができている。  アクセス JR日暮里より徒歩すぐ。  延命院のシイ 2001頃撮影 「東京の樹」より 延命院のシイ 2010/07撮影 「巨樹と花のページ」

不忍池 しのばずのいけ

 不忍池は今見ても大きいが、明治時代(明治17年1884年)に外周を競馬場にするために埋め立てるまでは面積は18ヘクタールあった(現在は11ヘクタール=11万平方メートル なお1辺が10mの正方形の面積が1アール=1a 1辺が100mの正方形の面積は1ヘクタール=1ha=1万平方メートル。)とされる(不忍池 wikipedia)。また現在の不忍池は 蓮池、ボート池、鵜の池の3つに分かれており、面積はそれぞれ、5.5、3.0,2.5ヘクタールだという(写真は東天紅レストランか

朝倉彫塑館

 場所は日暮里駅北改札口から谷中方面に歩いて5分。今回はおそらく10数年ぶりの訪問。彫刻家として知られる朝倉文夫(1883-1964)の自宅でありアトリエである。最初に通されるのが堂々たるアトリエ。天井の高さ。しっかりした木組みの床材。なるほど大きな彫刻にはこうしたアトリエが必要なのだと納得する。そこに置かれている作品群も有名なものが多くただただ感心する。そしてその次が書斎。これも大変立派。そして応接間を経て玄関があり、昔の来客はここを通ってアトリエに至るのだとこれも納得する

上野寛永寺について

徳川家康(天文11年1542年-元和2年1616年)の信頼が厚かった天海(生年不明-寛永20年1643年)が徳川家光(慶長9年1604年-慶安4年1651年)から寺領を受けて寛永2年1625年に開創した天台宗の寺。天台宗関東総本山。江戸城の北東の鬼門(positioned the north-east direction, an lucky direction or the demon gate of Edo city )にあって京都の比叡山延暦寺が平安京に対してそう

上野東照宮について

  徳川家康(天文11年1542-元和2年1616)の死の翌年にあたる元和3年1617年、日光に東照宮が造営された。東照宮の名称は太陽神たる天照大神(あまてらすおおみかみ)になぞらえて家康の神号を東照大権現としたことによる。元和4年1618年に江戸城内紅葉山にも東照宮を建立。その後元和9年1623年に、一般志士に江戸近くに参拝の機会を与えようと藤堂高虎(弘治2年1556-寛永7年1630)が自身の屋敷地であった上野の山に祠を設けたのが上野東照宮の始まり。  高虎の死後も、長

国際子ども図書館

 上野公園のはずれ。東京国立博物館の左隣。明治39年(1906年)3月に開館した旧帝国図書館の建物が改修復元され、平成14年(2002年)国際子ども図書館として開館したもの。開館に至る経緯は以下に詳しい。  亀田邦子「国際子ども図書館と私」『教育学雑誌』(2012) 53-69  旧帝国図書館で明治39年(1906年)完成したのは当初計画の東側ブロックのみ。昭和4年(1929年)南側の大閲覧室の部分が増築で追加されたが、結果として第二次大戦前に実現できたのは当初計画の3分の

国立西洋美術館

 上野の国立西洋美術館が2022年4月9日からリニューアルオープンしたと聞いて訪問してきた。2020年10月19日から1年半という長い休館だったが、たまたま休館時期はコロナ禍で大変な時期と重なった。コロナの収束が見え始めたときのタイミングでリニューアルオープンとなった。  この美術館とは学生時代以来、長い付き合いである。久しぶりに訪問して、65歳以上は無料だということにまず感謝。ただ広い館内を、年寄りが歩き回るのはそもそも無理があると最初に感じ、ざっと拝観するに徹し疲れないよ

横山大観記念館

 横山大観記念館は、画家横山大観(明治元年1868-昭和33年1958年)が晩年過ごした旧居をそのまま記念館としているもの。建物自体は昭和29年1954年のもの。しかしそうではあるが、大正8年1919年に完成し昭和20年1945年3月の東京大空襲で焼失した旧宅を、ほぼ忠実に再建したものとされ、大観がその人生の大半を過ごした大正期の自宅の雰囲気もこれに近いとみてよいのではないか。  記念館を訪れて最初に通されるのは2階の画室である。そこから不忍池弁天堂が望める。横山がその風景を