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長崎気まぐれ案内 その8 - グラウンドゼロ

被爆地長崎。75年前の夏に長崎の空に広がったキノコ雲はその下に住む人々の運命を一瞬で変えた。

知の巨人と言われる作家立花隆氏が何かの週刊誌に投稿していた。官能小説家の宇能鴻一郎氏は長崎の原爆で実の妹を亡くしその影響だろうか、その作風にどこか達観した厭世的なものがあると評していた。

原爆関連としては平和記念像が有名だがその敷地を道路で一つ隔てた南側に爆心地公園がある。つまりグラウンドゼロだ。そのグラウンドゼロ地点に被爆当時の住んでいた世帯主の名前が記された地図が銅板か何かで刻まれている。そこには宇能鴻一郎氏の実家のみよじがあり確かに身内に犠牲者がいたのかなと思った。

春には桜が鮮やかに咲く公園。訪れると何故かズッシリと足取りが重く感じる。

初めて長崎を訪れた際現地の知り合いに平和公園を案内してもらった。国道206号線の入り口から北東方向に進むのが正式な(?)道順だという。階段を上って目にする平和の泉。ある少女の手記が刻まれた石碑の先に記念像が視野に入る。人間の業の深さに慄然とする。悲劇の原因も結果もどちらも人間に起因する。

被爆地は被曝した当事者はもちろんその2世、3世もいる。一般の日本人にとってそれは歴史の教科書であり学びの教材なのだが当事者にとっては全く様相が異なる。

たとえ直接関わっていなくとも身内が殺され一瞬で消え去った悲劇であり厳然たる現実。学びの教材とは第三者の立場。当事者は第一人称。Sensitiveな事柄に時に緊張を伴うこともある。

被爆地長崎は毎夏厳粛な日を迎える。当事者ではないものの当地に住む関係者としてそして長崎市民として8月の第一日曜日は市民清掃の日とされ世界中から訪れる参拝者を迎えるため市内を清める。70年以上前喉の渇きに水を求めさまよった人。その人の犠牲の上に今の自分達が存在する。

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