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夫婦は音叉のように

今日は大晦日。2020年も今日で終わり。いろいろあったなぁとつくづく思う一年だった。

2020年は個人的にも一つのターニングポイントになる年かなという予感はあった。丁度10年前に生涯の伴侶を病気で失った。独りとなった。2人で育てたワンコがいたがそのワンコも2年前の新緑の季節に逝ってしまった。文字通りの独りになった。何故自分が作り上げた家族は先に自分の元を去っていくのか、と傷ついた。傷ついたかのように錯覚していったと言ってよい。

むしろ独りが普通だった。今は家族を作り育てた機会と時間を持てたかつての日々にただただ感謝している。

夫婦とは何か。お互いにとって相手はどんな存在か。自分にとって夫婦とは音叉の様な存在だった。何より相手が嬉しい顔をしたらこちらも嬉しくなった。悲しむと自分も悲しくなった。相手が喜べば自分も喜んだ。いつも相手の気持ちや感情に共振していた。共振は増幅する。独りで感じたときよりもずっと。2人で感じ合えば2倍になる。相手が共振していることを感じれば更に繰り返し振るえそれが相手に伝わり4倍になる。そうやって倍々となっていく。喜怒哀楽の度合いが深まる。それが自分にとっての夫婦だった。自分の振るえ、相手の振るえ。それがお互いに影響し合って共振する。その夫婦のさまが音叉を連想させた。

一緒になるまではそれぞれ全く違う人生を歩んでいた2人。その2人がそれぞれ互いに相手にさまざまな影響を及ぼし合う。考えれば不思議な世界だ。偶然なのだろうか。必然なのだろうか。どちらとも取れるが人と人との出逢いとは人智を越えた計り知れないものなのだ。その出逢いという機会をしっかり掴み育めたことに感謝し自分を褒めてあげたい。

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