見出し画像

長崎きまぐれ案内その9 ー長崎の雨

その土地を冠した歌は数々ある。「長崎は今日も雨だった」もその一つ。

1982年7月の長崎大水害は地元の人の間で今も語り継がれている。

銅座でよく訪れた小さなカウンターしかないお寿司屋さんには隅の壁に届いた水位の印が刻まれていた。海岸からはずいぶん山側に入ったそのお寿司屋さんでもお店内部で大人の身長は十分ある高さだった。そのお寿司屋さんも長い間通ったが今はもうない。

長崎駅にほど近い宝町はJRの路線を下からまたぐ形で国道が通っている。その辺りは土地も低いものだから雨が降り続くとすぐ冠水する。大水害の際はなかなか水が引かなかったらしい。職場の年配の方から聞いた話では宝町辺りの昔浦上川の河口付近は今よりずっと広く海が広がっていたとのこと。つまり埋め立て地になっている。土地が低いのもそのせいだ。

自分が初めて長崎に住み始めたのは1991年だから大水害から10年弱経った頃だった。当時も大水害の爪痕は残っていた。

2020年の今は当時とは比べものにならない程日本各地で水害が頻発している。特に九州は豪雨が多い。東シナ海を通って西に移動する湿った大気は九州の山々に当たって雨を降らせる。日本国内の気候を大まかに分けるに太平洋側と日本海側との2つに分ける。長崎は日本海側の典型だ。面しているのは東シナ海だが気候としての特徴は日本海側になる。かてて加えて気候変動の影響を受け海水温度が昔より高くなってきている。地球規模の変化は雨の街長崎にも確実に影響を及ぼしている。

長崎の雨はしとしと降る雨もあるにはあるが比較的土砂降りの雨も多い。今想い返しても関西から移り住んだ際そう感じた。風の強さと共に雨の降り方も強い傾向がある。

つい3年ほど前に洪水警報が発令した際の土砂降りの雨はこれ以上の降水量はないのじゃないかと思うほど経験したことのない豪雨だった。バケツをひっくり返したという例えが本当に当てはまるとはこのことだと思った。しかし大水害を経験した地元の人に言わせればまだまだあの時ほどではなかったと言う。当時の豪雨とはどの程度のものだったのだろう。少なくとも自分にとっては想像を超える域のようだ。

長崎の街はときに雨が似合う。雨に濡れた石畳はかつて欧州からはるばる極東の小さな国に出向いたオランダ人の歩いた道。しとしと降った雨なら情緒溢れる街なのだが土砂降りの雨は出来れば勘弁願いたい。その願いもいつかは断たれるのだろうか。

書き忘れるところだった。長崎市の花はあじさいです。

水害に遭われた方々、お見舞い申し上げます。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?