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イエスマン修行 <西メソ集その6>

s西田メソッドと称する西田英司先生(企業再生家)主催のスクールがある。このスクールは2020年7月現在第6期で自分はこの6期生として訓を仰いでいる。
そのスクールにて「人の再生」というテーマで西田先生は生き方を説いている。その内容を書き言葉で再生することで自分の中で整理し反芻し、更に時間を経た後に読み返し思い返すことでフィードバックすることがあるかと考え記することにした。
今回のテーマは「イエスマン修行」とした。

西田メソッド、通称西メソのスクールに参加するに当たり最初に通達される心得が

イエスマン

になれということである。

要するにまずは言われたことを素直にやってみなさい、ということである。

スクールが始まるといろいろな業、修行が課せられる。そのやること、やらされていることはどんな意味があるのかたいてい始めは分からない。なかにはやっていく中で自分の中でハッと気付くことがあったり一緒にやっている仲間の変化を感じてその意味を知ることがある。というよりほとんどやっていく中で分かってくる。なかにはやってても分からないものもあったりする。しかし、やっていくうちに新たな気づきがあったという経験があると何の意味があるのか分からないものでもとりあえずやってみる、続けてみる。その継続しているうちに何か見えてくるものがあるだろうと分かってくる。

しかしイエスマンとなってまずは始める、取りかかることをしないと何も始まらない、変化がない。

このイエスマンということで思い出すことがある。

確か戦国時代の武将伊達政宗の歴史小説に描かれていた。政宗の幼少時代の帝王学の仕込みというのだろうか。論語や四書五経(?だったと思うが自信はない。とにかく中国の古書)を聞かせたり読ませたりしたのだそうだ。当然政宗といえども幼少の時には意味も分からない。内容も分からない。しかし、成長と共に後にその意味するところがハタと分かるときが来る。その理解する時期がいつになるかは本人次第。要はインプットするときに分からなくてよいからまずは知識として本人の頭に叩き込む。その知識が成長するにつれ理解され経験として血となり肉となる。つまり自分のものになる。

イエスマン修行とは素直にとらえるとそういうことになる。四の五の言わずにまずはやってみろ。

更に考察するなら今は分からないことでもいつか理解出来ることもある。いつかああそうだったのかと納得出来ることもある。そう考えれば他人の言うことは素直にきくものだということになるだろうか。もちろんその他人とは信用し信頼する相手が対象となるのだろうが。

まだまだ表層的なとらえ方かも知れないが現時点での自分の理解はこんなところ。


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