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意識と気付き

僕「どうしたの?」
彼女「りょうへい、聞いて。私、できちゃった。」
僕「できたって、何が??」
彼女「貴方と私の間にできたのよ。分かるでしょっ!」
僕「ええっ、、、」
かくして彼女と別れてから家への帰り道にどうしようどうすれば良い??とアレコレ悩む事となる。お金がない。彼女の実家になんて挨拶すれば良いのだろう。そもそも自分は父親になれるのか、、、
独りになってからの帰り道ベビーカーがやたらと目につく。赤ちゃんをおんぶした母親の姿。子供をあやす夫婦。

これは急に通りに赤ちゃんや母親が増えた訳ではない。これまでにも普通に見慣れたありふれた光景。ただ、今まで見ていても見えなかっただけのこと。気付かなかっただけのこと。あるいは気付いても意識しなかっただけのこと。ひょっとしたらこの世に自分の血を分けた子供が近い将来存在することになるかも知れない。そう考えただけですれ違う子供や母親に意識が向いた。今まで無意識のうちにスルーしてきた光景に意識が変わることで意識がそこに向かうことで目に飛び込んできただけのこと。

気付くことや分かることは意識することから始まる。
意識すればその対象に目が向かい対象を含む周りを含めた全体に意識が広がる。

自分が通う西メソやカヤメソッドで分かる、あるいは腑に落ちるとはこの意識が大きな役割を担う。

西田先生がよく口にされる。「もう何度も言い続けていることを今日初めて聞いた!という顔をしましたね。」

「できちゃった。」という彼女の一言が起爆剤となって赤ちゃん、子供、親というキーワードが意識に降りて来た瞬間。

同じことが起きた。

今年になって2年前のカヤメソッドのストレッチのレッスンを録画で復習する機会を得た。草(カヤ)先生の説明を聞いていてアレ、こんなに丁寧に説明していると思った。ひょっとして編集し直している?と誤解していたがそんなことはしていないそうだ。2年前のレッスンをそのまま再度録画で観ている。何故印象が変わるのだろう。記憶の中のレッスンは2年前。今現在観ている自分は2年間ストレッチを続けて身体の使い方や動かし方をそれなりに学び進化している。その進歩した意識で見返すレッスンは同じ先生の言葉や説明でも深く理解出来るからではないだろうか。表面的な理解ではなく一語一句の意味を味わえる意識の方向性が揃っているからではなかろうか。言い換えれば、2年経って初めて先生の言葉を理解し腑に落とせたと言えるのだろう。

気付くとは深い意識から来る。

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