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【短編小説】カウンタックに乗って

佐々木浩太郎は若くして広瀬里美と結婚した。ひとり息子の助三郎はこの春からひとり暮らしを始める。

今日で結婚25周年。
里美の運転でカウンタックに乗り、ショッピングモールに映画を観に行くことになっている。カウンタックはレンタルだ。ダブルインカムだが、カウンタックを所有できるほど裕福ではない。
いま浩太郎は里美がカウンタックを借りて戻ってくるのを待っている。ふと里美が自動車教習所に通っていた頃を思い出していた。

「里美、おい、起きろよ!午後から自動車教習所行くんだろ?」
「やだ。坂道発進、エンドレスで失敗する夢見たから行きたくない」
「なんだそれ、行けよ。俺もうキャンセルの電話するの嫌だよ」
「なんでよ。電話なんて一瞬じゃん。こっちはエンドレスなんだから。泣きながら起きたんだから」
「夢の中の話だろ?大丈夫だって」
「無理。足がつる気しかしない」
「なんでオートマ限定にしなかったんだよ」
「浩太郎が将来スーパーカー乗りたいならオートマ限定にしない方がいいよって言ったんじゃん!」
「それはそうだけど…とにかく行きなよ。一発OKの可能性もゼロじゃないし」
「…今日は嫌」
「あーもうわかったよ!」

結局、3年近く通ったんだっけ。
浩太郎は思い出し笑いをする。

パーン!
不意にクラクションの音がした。
浩太郎は慌てて玄関から外に出た。
真っ赤なカウンタックが止まっている。
運転席側の窓が下がり、里美の笑顔が見えた。

「パパ、お待たせ!ひとりで運転するの怖いから早く乗って」
「あ、ああ、そうだよな」
浩太郎は急いで助手席に乗り込んだ。
「えー運転してくれないの?」
里美が不平を言う。
「ママが運転する約束だろ?さあ、行こう」
カウンタックがゆっくりと走り出した。

「いい感じじゃないか」
浩太郎は里美に声をかけたが、里美はあまり余裕がないようだ。
「軽口を叩かないで。私の代わりに四方八方見ててよね。私は運転で手一杯なんだから」
「わかってるよ。大丈夫。しかし、カウンタックでショッピングモールに行くなんてなかなかないよな」
「だから、軽口を叩かないでってば!ぶつけるわよ」
「おっと、ごめん。四方八方を注意して見ています」
里美は両肩に力を入れてハンドルをしっかり握って運転している。浩太郎はせっかくなら楽しんで運転してほしいと思ったが無理かと思い直した。
「ショッピングモールまであとちょっとだよね。ゆっくり行こう」
浩太郎は里美を落ち着かせようとしたが、里美はカクカクとうなづいただけだった。

「そこを左に曲がると駐車場だよ」
里美は素直に左折し、ショッピングモールの駐車場に入った。ひどく渋滞している。
「混んでるね。でも映画の開始時間まではまだ時間あるから」
浩太郎が声をかけると、里美は緊張の面持ちで文句を言った。
「駐車場が渋滞するなんて聞いてない。パパ、運転代わって」
「いや、無理だよ、この状況で」
「もう役立たず!」
「ママ、落ち着いて。大丈夫だから。教習所、何年も通ったろ?」
「あ、いまそんな嫌味言う?」

駐車場内をカウンタックがノロノロ進む。
「一階は空いてないわね」
二階へと進む坂道に差し掛かった。車が何台も続いている。浩太郎は緊張で脂汗が出てきた。

「あの…坂道発進になっちゃうけど…大丈夫?」
「大丈夫、だと思う?神様にでも祈ってて」
「やっぱり運転変わろうか?」
「いまさら何よ!黙って座ってて」

カウンタックが坂道を少し登り、停車する。浩太郎は生きた心地がしなくなってきた。前の車が少し前に進んだ。
浩太郎は妻の顔を見つめて言った。
「里美、俺はお前を信じてるぞ。何があっても一緒だ」
「フッ、馬鹿な人ね」
そう言うと里美は難なく坂道発進を成功させた。浩太郎は呆気に取られている。
「な、なんで」
「なんでって失礼な。何年教習所に通ったと思ってるのよ」
「だって何年前だよ。大体マニュアル車の運転なんてしたことあったっけ?もしかしてこっそり練習してた?えー、俺、感動しちゃうよ」
「しょうがないなぁ。種明かししてあげる。このカウンタックね、オートマなの」
「え!?」
「フフフ、マニュアルの練習しようかなとも少し思ったけど、日和ってオートマ借りちゃった♪心配させてごめんね、浩太郎」
「里美~、頼むよー。寿命縮んだよ。全然気づかなかった。これ、オートマなんだ」
「映画見たら浩太郎も運転してみたら?結構、気分いいわよ」
「へー、楽しみだ!」

ふたりは結婚前に戻ったかのようにお互いの顔を見つめて微笑んだ。
(1808文字)

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