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【ショートショート】手

「先生」
駅の改札を出たところで、若く美しい女性に呼び止められた。
「迫田先生ですよね、美術部の顧問をされていた」
「いや、あの、どちら様ですか?」
「堀田です!堀田いずみ。覚えていらっしゃらないですよね、私地味だったし。先生は少しお痩せになりました?」
「いや、そんなことないと思うけど」
「痩せましたよー、ちょっとダンディーな感じになりましたもん。私、今だから言いますけど先生に憧れてたんです」
「それはありがとう。でも、申し訳ない、私はあなたのことをあまり覚えていなくてね…」
「えーショック!でも、仕方ないか、私も見た目変わったと思うし」
「ごめんごめん、似た子はいたなと思っているんだけど確信が持てなくてね。何を作ってたんだっけ?」
「私は粘土で手を作ってました」
「手か。手は奥深いよね。作り手によっていろんな表情を見せる」
「そう!私が手を作りたいんですって言ったら、今みたいなことを言って褒めてくれたんです!」
「本当に?声をかけてくれてありがとう。今も何か創作しているの?」
「いえ、自分ではもうやっていないんですけど、無名の将来有望なアーティストが個展を出す手伝いをしています」
「それはすばらしい!良いアーティストがいたらぜひ教えてください」
「それがちょうど今ひとりいるんですよ、すごい才能なんです!一度会ってみていただけませんか?」

つい話を合わせてしまったが、あの子は誰だ。超絶美人だった。あんな子、教え子にいたら忘れない。誰かと勘違いしているんじゃないか。でも、迫田先生と言ってたしな。来週会う約束をしてしまったし、その時にもう少し話を聞いてみよう。

なんてことだ。無名どころか超有名アーティストじゃないか。
「迫田先生は彼のこと、ご存じですか」
「ひかるさんでしょう、書道家の。最近テレビでよく観ますよ」
「山本ひかるです。はじめまして。書道はもうやめたんです。手を作りたくなって」
「それはもったいない。書道も続けてほしいなぁ。私は好きですよ、あなたの書」
「ありがとうございます。でも、もうどうでもよくなっちゃったんですよね」
「ひかるさんは迫田先生の作品に出会って書に対する情熱を失ったそうです」
「もう書の話はいいでしょう。手の話をしたいですよ、僕は」
「そうですね、ごめんなさい。迫田先生、ひかるさんは先生の作品について聞きたいことがあるそうなんです。よろしいですか」
「私の作品?なんだろ、どれのことだろうな。心当たりがないが」
「大丈夫ですよ、僕、スマホで写真撮ってきたんで」

「いやー今見ても本当にすばらしい、見てください、この手」
ひかるがスマホの写真を見せてきた。こんな手見たことない。私の作品ではない。
「これ、女性の手ですよね、艶やかで透き通るような…ただ、この手、僕はどこかで見たことがあるんです。モデルは彼女、堀田いずみさんですよね?」
何を言い出すんだ、こいつは。彼はなおも続けて言う。
「愛がないとこの手は作れないと僕は思う。迫田先生、いかがですか?」
堀田いずみは驚き、やがて顔を赤らめた。私は落ち着きを取り戻して言った。
「ひかる君、私は君が何を言いたいのか理解できないが、ひとつだけはっきり言えることがある。私は君達が思っている迫田先生ではない。その手は私の作品ではないし。というか、私は作品を発表していない。ただの高校教師だからな」
「え、そうだったんですか、ごめんなさい。面影が似ていたものですから」
堀田いずみが頭を下げた。
「君達の迫田先生の下の名前はなんというのかな」
「拓です。迫田拓先生」
「あーたくちゃんか、私のいとこだよ。小さい頃、粘土で一緒に遊んだなぁ。大成したんだね」
「迫田先生、あなたの下のお名前は?」
無遠慮に山本ひかるが聞いてきた。
「私?私の下の名前は…猿吉、迫田猿吉」
「猿吉…」
「何か?」
「いえ…」
「生徒達は私のことを猿吉先生って呼ぶからね、おかしいと思ったんだよ。でも、堀田さんに声をかけられて舞い上がっちゃったんだな」
「分かりますよ、猿吉先生」
「失礼にも程がある!」
そう言ってひかるをビンタした堀田いずみを見ることができただけで、私は報われた気持ちになった。

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