自然とは何か?人工とは何か?この問いは意外に難しそうだ.人工とは人の手が加わったものを人工と呼ぶのだけれど,まずは人とは何かが曖昧なので,人工と自然の境界を,具体的な例を元に考え出すとよくわからなくなる.例えば,里山は人工なのか自然なのか?火山は限りなく自然に近いように思えるが,地球温暖化が影響しているなら,多少の人工が入っている. すなわち,人類が誕生して,人工物や人工のものが生まれたことだけは明らかなのだが,人工と人工ではないもの,すなわち自然の境界は常に曖昧で,さらに
ここしばらく従来の宗教に変わる科学のような宗教があり得るかと考えてきたのだけど、どうもなさそうに思えてきた。 探してきたのは、科学を探求するという目的だけで、人が集まるような宗教。従来の宗教は経典があっても、ほとんどの場合、教祖が存在し、経典で理解できない多くのことについては、教祖を盲目的に信じるようになっている。そのためか、経典は大抵の場合解りにくい。そうした教祖を盲目的に信じる宗教ではなく、経典が教祖とは完全に独立し、その経典に自然に人々が魅力を感じるような宗教である。
知らないことがあると,それを知りたいと思い,情報を取り込み記憶することで,その欲求を満たすのであるが,知るということと記憶の関係はどうなってるのだろう? 知ることは,記憶することだけど,記憶を取り出すには時間がかかる.この時間がどれくらい短ければ,記憶として見なされ,どれくらい遅ければ,記憶にならないのだろうか? インターネットがあるので,スマホを持っていれば,かなりの知識を瞬時に得ることができる.この状態は記憶とみなしていいのだろうか? どれくらい瞬間的に記憶を取り出