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武本拓也振り付け「庭の話し」を観て考えたこと 番場 寛
昨年同じ場所(京都芸術センター講堂)で武本が一人でゆっくりと移動していき、ある時なんの因果関係もなく突然に立ち止まり目から液体を流すシーンがある舞台を観た。時間を微分しているのか積分しているのかわからないが、歩く速度や停止は意図的に変えているのが見てとれたが、その時はずっと昔東京の小劇場で見ることができた太田省吾演出の『小町風伝』の女性の動き似ていると思った。
同じ武本の振り付けでも今回演ずる
コロナ禍を生きる「私」はいかにして『擬娩』の「観客」になりえたか 番場 寛
ある作品が戯曲として書かれた状況とそれが演出され舞台で上演されるときの状況は異なっている。この『擬娩』が上演されている現在はどういう状況なだろうか。同じ京都で同じ和田ながらによって演出されており、しかもわずか2年しか経っていないのに、時間の経過にともなう状況の変化のもとに起こった作品の変化に目を向けてみたい。
今回の舞台を見てまず驚いたことは俳優たちがマスクをしていないことだ。舞台の袖で