見出し画像

エスパー雀士ミハルの憂鬱〜第一話【全十三話】

 ⭐️あらすじ⭐️

全国に支店を持つスーパー、「ラックスマート」に勤める鳴海瞬(なるみ しゅん)は、青森支店に転勤になった。着任直前、瞬は雪深い青森の雀荘で、ミハルという女性と出会う。白く美しい指と、大きな瞳を持つミハルは、転勤先の女性警備員だった。
 ミハルには他人の心が読めるという特殊能力があった。それは、透視能力を持っていたミハルの祖母、千鶴から受け継がれた遺伝のようなものであった。ミハルは、母親がこしらえた多額の借金を返すために、やむを得ず、特殊能力を利用して、麻雀で金を稼いでいた。
 ミハルと瞬は、同じ職場で言葉を交わすうちに互いに惹かれ合うようになる。しかし、お互いに、その気持ちを相手に伝えられないまま、日々が過ぎてゆく。

 ※※※※※※※

【東場の章】

 一

  「あ、それあたり」

 対面の女が、白く細長い指を滑らせるように手牌を倒した。残り一枚しかない【九ソウ】。まただ。またやられた。さっきも残り一枚しかない【北】で討ち取られた。
 まるで狙撃手だ。余ってくる牌を的確に察知して、待ちを変える。ビルの屋上から、路上を歩くターゲットの左胸を正確に射抜く凄腕のスナイパーですら、賞賛のため息をつくだろう。香港あたりのマフィアのボスがスカウトに来るかもしれない。
 俺は麻雀をやってから、ホテルに入ろうと思った自分を後悔し始めていた。そしていつものように、責任転嫁を始める。今回は、ビジネスホテルの隣が雀荘になっているという、極めて稀なこの街の立地を恨んだ。そして、本州最北端である青森という地に転勤辞令を出した会社を。
 雀荘は、三階建てのビルの二階にあった。一階が買取ショップで、三階には消費者金融が入っている。「千春」という雀荘というより、スナックとしか思えない看板に吸い込まれるように階段を上った。階段の幅は狭く、段差は大きかった。窮屈な空間には、煙草とカビを黄金比率で混ぜ合わせたような異臭が漂っていた。
 しかし、いざ店内に入ると無駄に広い。設置卓はたったの四つ。卓と卓の間の通路は、力士三人が並んで歩いても、余裕で通ることができる。都心の狭苦しい、タバコの煙でむせかえるような雀荘しか知らない俺は、驚きを通り越して呆れてしまった。
 クリーム色の壁は、所々、塗装が剥げていて黒ずんでいるし、リノリウムの床は傷だらけだ。壁には水着姿の女の子がビールジョッキを掲げているポスターが貼られていた。ひどく色褪せている。満面の笑みを浮かべているが、入院中の病院から撮影場所に無理やり連れてこられたような表情だ。
 きっと、古くからある雀荘なのだろう。あるいは雀荘になる前は、月末くらいにしか客の集まらないビヤホールか何かだったのかもしれない。
 女の動作には、とにかく無駄がなかった。左手が最短距離で牌山に向かい、しなやかに伸びた新雪のように白く細長い指が、牌に吸い付くように絡まる。レフティの女性雀士に出会ったのも初めての経験だ。
 黒いキャップを目深に被り、黒いマスクをしているから、どんな顔をしているのかいまひとつわからない。弓のようにしなったツバの下で、くりくりと動いている大きなどんぐり眼が、細長い指と対照的だった。
 「ミハルちゃん、相変わらず強いっきゃねえ、、」
 俺の左隣に座っている白髪のじいさんが、かけていた鼈甲縁の眼鏡を外して、おしぼりを両目にあてながら女に話しかけた。炎天下の中、半日、庭の草むしりをした後のような声だった。
 「ついてるだけだよ、シゲさん。店員さん、あたしこれでラスト」
 ミハルと呼ばれたその女は、立ち上がって、椅子に掛けてあった黒のダウンジャケットを羽織った。黒づくめの出立ちのおかげで、細長い指の白さがひときわ輝いてみえる。岩木山を着飾る新雪ですら、恥ずかしさのあまり溶け出してしまうほどの美しさだった。
 「ミハルさーん、また勝ち逃げっすかあ。勘弁してくださいよ」
 「テルは何回やっても私には勝てないよ。麻雀やめて真面目に勉強しなよ」
 「いつもそれだよ。せっかく晴れて大学生になったんだ。青春を謳歌しなきゃもったいないだろ」
 「卒業できなくなっても知らないから。親が泣くよ」
 「ちぇっ、さんざんふんだくっといてお説教かよ」
 俺の右隣に座っていたテルと呼ばれた茶髪の兄ちゃんが、自分の手牌を両手でぐちゃぐちゃにかき回して悪態をつく。
 「おい、おめ、見だごどね顔だが、出張組がね?」
 鼈甲縁眼鏡の爺さんが、呆然としている俺の顔を見て言った。
 「え、あ、いや、出張じゃなく転勤です」
 「そうが。まだ、よりによってこった一番寒ぇ時さ大変だねえ」
 「あ、え、ええ、まあ、、」
 噂には聴いていたが、年寄りが早口で捲し立てる津軽弁は、聞き取り辛いったらない。
 「英語より難しいぜ」
 有名私大の英文科を出たインテリの同僚が、何故か青森出身で、そんなことを言っていた。語感は、英語というよりフランス語だ。いつのまにか、女は精算を済ませ、雀荘の出入口のドアノブを回し、外に出て行った。
 「あ、あの、あの女の人はここによく来るんですか?」
 「おめ、あの女はやめどきな」
 白髪のじいさんが、鼈甲縁を撫でながら、目を細めてニヤける。相変わらずそのガラガラ声には張りがない。よほど長時間打っていたのだろう。
 「いや、そんなつもりじゃなくて、、、」
 「おっさん、ミハルさんに手を出さない方がいいぜ」
 テルと呼ばれた茶髪の兄ちゃんも、会話に参戦してきた。
 「あの女はな、ただもんじゃねえ。まるでエスパーだ」
 「エスパー?」
 「だってそうだびょん。こっちがどった手作ってらのが、どの牌捨でるのが、全部知ってらみだいだ。おめも感ずだべな?」
 鼈甲縁に手をやりながら、爺さんが早口で捲し立てる。いまひとつ、何を言ってるのかわからない。ここが日本だというのなら、俺は日本人じゃないのかもしれない。それほど爺さんの言葉は、異世界の住人が唱える摩訶不思議な呪文のように聞こえた。
 「は、はあ、、、」
 「くっくっくっ、、、シゲじい、津軽弁をそんな機関銃みたいに連射したら、何言ってんのかわからねえって。おっさん、面食らってんじゃん」
 それにしても、生意気な口を聞く茶髪だ。若者は津軽弁を使わないとは聞いていたがその通りらしい。
 「うるせえ。おめも青森の生まぃらすくちゃんと津軽弁でしゃべりやがれ」
 じいさんはますます早口になり、ますます言ってることがわからない。ブレーキが壊れた蒸気機関車が、砂漠の上を地平線に向かって、猛スピードで走ってゆく姿を思い浮かべた。
 「ワタシ、ニホンジンデース。フランスゴ、ワッカリマセーン」
 茶髪がそんなことを言いながら両手を上にあげ、首を傾げる。やはり、津軽弁はフランス語に近いらしい。
 「てめえ、ふざけんな!」
 じいさんは鼈甲縁の眼鏡を外し、卓に放り投げ、立ち上がった。怒りのあまり顔が真っ赤に染まっている。短く刈り上げた白髪が剣山のように見えた。手のひらを卓に叩きつけた振動で、残りのツモ山がジャラジャラと音を立てて崩れていく。
 「ちょっとちょっと、お客さん、他のお客さんと迷惑になりますから喧嘩なら外でやってください」
 黒ワイシャツの店長が、革靴の底をカツカツと鳴らしながら俺たちの卓に近づいてくる。散々飲んだくれて、延々と独り言を繰り返しているカウンターの客に閉店時間を告げるバーテンのような口調だ。
 痩せているが百八十センチに近い長身で、細いシルバーフレームの眼鏡をかけ、無精髭を生やしている。タックの入っていない黒いスラックスの裾から覗くダークブラウンの革靴が、蛍光灯の光を浴びて輝いている。彼は毎朝髭を剃る時間を、靴磨きに充てているのだろう。
 「あ、俺もラストで、、、」
 俺はそそくさと席を立ち、精算を済ませた。そして、まだなにやら言い争っているふたりを後に残して、雀荘を出た。
 外はすっかり闇に包まれていた。横殴りに降る雪が容赦なく頬を刺す。新たな住まいに、引っ越しの荷物が来る明日の朝を憂鬱に感じながら、重たい足取りでホテルに向かった。
 「ちぇっ、これでも学生麻雀チャンピオンだったんだけどなあ」
 サクサクと新雪を踏む音が響く。人も車もほとんど通らない。
 「やれやれ、とんでもないところに来ちまったなあ」
 ため息が白く濁る。街灯の光を浴びて煌めく粉雪を見つめながら、ミハルという女の白く細長い指を思い出していた。

 ※※※※※

 荷物の搬入作業はほんの一時間足らずで終わった。エアコン、ストーブ、照明は備え付けだし、洗濯機は前任者からそのまま譲り受けた。
 転勤族になることを承知の上で、全国に支店を持つ「ラックスマート」という量販店に就職した。特にどんな仕事をしたかったわけでもない。誰も名前を知らないような三流大学出身の俺が新卒で働くことができる企業など限られていた。
 それでも、「ラックスマート」で仕事をするようになると、こんな俺でも商売の面白さを少しずつ感じるようになった。しかし、麻雀をやめる気はさらさらなく、生活は仕事と麻雀にほぼ二分された。転勤する先々で行きつけの雀荘を見つけ、通い詰めた。
 「お前、好みの雀荘を見つける前に嫁さん見つけろよ」
 同僚や上司にそう言われ続けて二十年あまり。俺は相変わらず独身のまま、今回、「ラックスマート青森店」副店長という昇格辞令をもらった。
 それにしても、室内にいても尋常でない寒さだ。ダウンジャケットを羽織ったまま、リビングの床に座り込む。築十五年になる二階建てのアパートは、社宅として会社が借り受けている物件だ。三LDKという広さは、家族で住むことを考慮に入れてのことだが、ひとりで住むには広すぎる。
 リビングの中央には、だ円形のローテーブルが置かれていて、向かって左奥の角に十七型の液晶テレビ。その反対側の角には大きな石油ストーブがある。その間の壁沿いには引っ越し屋さんの赤いロゴが入った白い段ボールが規則正しく詰まれている。中身はほとんど麻雀に関する本や雑誌だ。
 ローテーブルにぽつんと置かれていた空調のリモコンを手に取り、スイッチを入れる。ちょうどテレビの斜め上あたりに取付られたエアコンがぶうううんと唸りを上げて作動しはじめた。冬眠していた熊が、もう少し眠らせてくれ、と叫んでいるようだった。時折、自動車のタイヤが雪道を滑るきゅるきゅるという音が聞こえてくる。何をする気にもなれず、コートを羽織ったまま床の上で大の字になった。
 「あー、冷たい!」
 床の冷たさに耐えきれず、体育座りの姿勢になり膝を抱えた。
 俺が生まれ育った静岡県浜松市は、温暖なところだ。雪など滅多に降らない。だから、雪化粧を施された街並みはひたすら奇異に映った。しかし、温暖な土地とはいえ、雪は降らないまでも、真冬の寒さは厳しかった。四十年前は今ほど暖冬ではなかったし、「遠州のからっ風」と呼ばれる北西風の冷たさは尋常ではなかった。母親ゆずりで肌が白かった俺は、しょっちゅう赤切れをつくっていた。
 グラウンドで半袖、短パンという格好で体育座りをさせられ、むずむずと痛痒くなっている手の甲を反対の手でさすっていたものだ。組んでいた両手をほどき、手のひらをまじまじと見つめた。四十年前の透き通る様な肌はもうそこにはなく、無数のシワが刻まれている。手相のくぼみの奥に幾筋もの青い血管が走っている。内を流れる血潮もあの頃とは比較にならぬほど薄汚れているに違いないのだ。

 ※※※※※※

 子供の頃から親には迷惑ばかりかけてきた。母親似で色が白く、小太りな体型だった俺は幼稚園児の頃からいじめの対象にされた。下校途中でクラスメートから叩かれ蹴られ、泣きながら家に帰った。
 「男のくせにメソメソすんじゃねえ。やられたらやり返せ」
 魚屋を営んでいた父は、いつもそう言って俺を叱った。そういう時代だった。小学校三年生の時、そんなひ弱な俺に業を煮やした父は無理矢理、父の親友が開いている道場に通わせた。
 「瞬坊、ここで体鍛えて、いじめっ子の連中を見返してやんな」
 父の親友、茂おじさんは俺の恩人だ。人というのはきっかけが有れば、驚くほど変貌するものだ。学校が終わると毎日、道場に通った。ぽっちゃりしていた身体は引き締まり、背丈も伸びた。母親譲りだった肌の白さだけはどうにもならなかったが、中学に上がる頃には、俺のことをいじめるような奴はひとりもいなくなった。しかし、いくら身体を鍛えようと、頭の出来が良くなるわけではない。学業の方は常にクラスの底辺を彷徨っていた。
 麻雀に出会ったのは、高校生の時だ。市内でも指折りの不良学校に通っていた俺は、悪友の誘いで麻雀牌に触れるようになった。悪友の家には麻雀牌とマットがあり、やはりガラの悪い兄貴がいた。丸刈りでソリコミを入れて、レンズの小さいサングラスをかけ眉毛も剃っていた。当時の不良と呼ばれる外見条件の全てを網羅していたその兄貴は、その風貌ではまるで想像できぬほど情に篤い男だった。
 「麻雀好きに悪い奴はいねえ」
 それが兄貴の口癖だった。兄貴ひとりのせいで、四畳半の部屋はタバコの煙で充満していた。兄貴の傍に常に置かれていたコカコーラの空き缶には、ショートピースの吸い殻が大量に詰め込まれていた。麻雀というゲームに魅せられるまで、そんなに時間を要さなかった。百三十六枚の麻雀牌が織り成すドラマに俺は夢中になった。
 名も知らぬ三流大学に入り都内で一人暮らしを始めた。コンビニのアルバイトで小遣いを稼ぎながら、新宿の雀荘に通い詰めた。勉強は全くと言って良いほどしなかったのに、四年できちんと卒業できたのは奇跡としか言いようがない。
 「ラックスマート」に就職してからも、麻雀は常に俺の傍にあり、ゴルフだとかパチンコだとか女だのか、そういったものが入る隙は全くなかった。俺にとっては麻雀が唯一無二の趣味であり、特技であり、友人であり、恋人であった。

 ※※※※※

  立ち上がって、ぶうんぶうんと煩わしい音を奏で続けているエアコンを睨んだ。噂には聞いていたが、やはりこの地にはエアコンは不要らしい。夏は冷房をかける必要がないほど涼しく、冬はエアコンの暖房程度では部屋が暖まらないほど寒いからだ。それなのになぜ部屋にエアコンが設置されているのか。理系の学生が卒論に書いても良さそうなテーマに思えた。
 不快な音を出すエアコンを切ると、室内は恐ろしいほどの静寂に包まれた。ストーブを焚き、またしばらくうずくまっていると、やっと部屋が暖まり始めた。ダウンジャケットを脱いでハンガーにかけ、カーテンレールに引っ掛けた。そして風呂場に行き、お湯を張った。服を脱いで、体も洗わぬうちにさぶんと湯船に身体を深く沈めると、ようやく身体の芯まで温まってきた。
 風呂から出て、スウェットの上からはんてんを羽織った。カーテンを閉めるために窓際に向かうと、外の吹雪は一層、激しさを増している。街灯の光に照らされる粉雪は、意思を持って空中を彷徨う無数の羽虫を思わせた。身体が冷えないうちに布団を敷き、その中で猫のように丸くなった。
 布団の中から手を伸ばし、テレビのリモコンを手に取った。電源を入れ、ただあてもなく画面を見つめる。ニュースキャスターが、今日世界中で起こったことを、他人事のように淡々と喋っていた。四角い箱から発せられる音と光を浴びていると、孤独感がなおさら増すような気がした。

【第二話につづく】

第二話はこちら

第三話はこちら

第四話はこちら

第五話はこちら

第六話はこちら

第七話はこちら

第八話はこちら

第九話はこちら

第十話はこちら

第十一話はこちら

第十二話はこちら

最終話はこちら

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?