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📕垂川沙倮「ハンチバック」読埌雑感



⭐「ハンチバック」あらすじ〜ネットより転茉

「背骚がS字にたわむ重床の病を患っおいる井沢釈華は、人工呌吞噚が欠かせない生掻を送っおいる。普段はグルヌプホヌムで某有名私倧の通信課皋でオンラむンの授業を受けたり、コタツ蚘事取材せずにネット䞊の情報だけで曞ける蚘事を曞いたりしおいる。
TL小説女性向けの官胜ラむトノベルを小説投皿サむトに連茉し、Twitterの零现アカりントでは「生たれ倉わったら高玚嚌婊になりたい」の投皿を固定ツむヌトにしおいた。幌少期に「背骚の曲がらない正しい蚭蚈図に則った人生」の道から倖れた釈華は、こう思う。
普通の人間の女のように子どもを宿しお䞭絶するのが私の倢です‚匕甚「ハンチバック」本文より
釈華のもずには、ヘルパヌが蚪れおいた。䞡芪の配慮で、入济介護は必ず同性のヘルパヌが付き添うようにしおいたが、コロナ犍の䞭、どうしおも人員調敎がうたくいかず、釈華の了承のもず、男性ヘルパヌの田䞭が来るようになった。
入济介護は䜕事もなく終わったが、その埌、急に田䞭から、釈華が運甚しおいるTwitterの話題をされる。田䞭は釈華のTwitterアカりントを特定しおいたのだ。釈華の䞭絶ぞの興味を知った田䞭は、そこから思わぬ行動に出お  。」

❶「ハンチバック」の背景に朜む日本の出版界に察する著者の思い

「愛のテヌプは違法事件」

 1975幎月19日、読売新聞郜民版に「愛のテヌプは違法の波王」ず題する蚘事が掲茉されたした。これは、日本文芞著䜜暩保護同盟が文京区立小石川図曞通が行っおいたテヌプ・録音サヌビスに察しお、「無蚱諟録音による違法コピヌ」ずクレヌムを付けたこずを報じたものでした。‚ これ以来、障害者の読曞暩ず文芞家の著䜜暩ずのぶ぀かり合いが、瀟䌚問題ずしおクロヌズアップされおきおいたす。‚ 囜際的にも共通の問題認識があり、1979幎にデンマヌクのコペンハヌゲンで開かれた囜際図曞通連盟の倧䌚で、「障害者の読曞暩は生存暩の䞀郚であり、他の暩利などによっお劚げられるべきではない」ずいう趣旚の決議が採択されたした。‚ 日本においおも、1981幎の党囜図曞通倧䌚埌玉で、同じ趣旚の決議がなされおいたす。〜ネットより転茉

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 「厚みが3、4センチはある本を䞡手で抌さえお没頭する読曞は、他のどんな行為よりも背骚に負担をかける。私は玙の本を憎んでいた。目が芋えるこず、本が持おるこず、ペヌゞがめくれるこず、読曞姿勢が保おるこず、曞店ぞ自由に買いに行けるこず、五぀の健垞性を満たすこずを芁求する読曞文化のマチズモを憎んでいた。その特暩性に気づかない「本奜き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた」〜「ハンチバック」より匕甚

 「出版界は健垞者優䜍䞻矩ですよ、ず私はフォヌラムに曞き蟌んだ。軟匱を気取る文科系の皆さんが蛇蝎の劂く憎むスポヌツ界の方が、よっぜどその䞀隅に障害者の掻躍の堎を甚意しおいるじゃないですか。出版界が障害者に今たでしおきたこずず蚀えば、1975幎に文芞䜜家の集たりが図曞通の芖聎障害者向けサヌビスに難癖を付けお朰した、「愛のテヌプは違法」事件ね、ああゆうのばかりじゃないですか。あれでどれだけ盲人の読曞環境が停滞したかわかっおいるのでしょうか。フランスなどではずっくにテキストデヌタの提䟛が矩務付けられおいるのに」〜「ハンチバック」より匕甚

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「読曞バリアフリヌが進んでいくこずを蚎えたくお去幎の倏、初めお玔文孊を曞きたした。䌚芋の堎にお導きいただいたこずは非垞に嬉しく、『われに倩䜑あり』ず感じおいたす」

 自らが重床障害者である「ハンチバック」の著者垂川沙倮さんは、芥川賞受賞䌚芋でこのようなこずを蚀っおいた。

 乱れ飛ぶネットスラング、頻発する露骚な性描写。これだけで䜕割かの読者は「ハンチバック」に察しお嫌悪感を持぀だろう。しかし、穿った読み方をすれば、癟歩譲っおも䞊品ずは蚀えないこの描写の根底に、日本の出版界に察する痛烈な皮肉が蟌められおいるのではないか、ず感じたりもする。

 この䜜品を読めば誰でも「障害者の性」に぀いお考えさせられずにはいられないはずだが、それにしたっお、ここたで露骚に性を描かなくおも良いのではないかず思う。しかし、そうするこずによっお、逆に、冒頭匕甚した、䞻人公の蚀葉がより生き生きずしおくる。

 ぀たりこの䜜品においお、ひず぀の重芁な䞻題は「読曞のバリアフリヌ」であり、「重床障害者の性」ずいうのはその䞻題を描くための䞀぀の手段であったのではないか、ず思う。露骚な性描写ずいうパヌツにばかり目がいっおしたうず、より倧きな䞻題を芋萜ずしおしたう。

 それは、䟋えば、恋愛小説の䞭で描かれおいる【色恋よりも描きたかった䜜者の䞻題】を芋萜ずしおしたうこずに䌌おいる。

 恋愛にしおも性にしおも、それらは普遍的なテヌマで、しかも、わかりやすいからこそ、小説の玠材ずしお䜿われるわけだけれども、それらは目的ではなく、手段にすぎないずいうこず。そのこずをたず読み手ずしおは頭に入れおおく必芁があるず感じた。

❷金持ちが障害者であるこず〜珟代瀟䌚における性ず金

「普通の人間の女のように子どもを宿しお䞭絶するのが私の倢です」〜「ハンチバック」より匕甚

「「1億5500䞇ではどう」
ず私は喉を抌さえお蚀った。
「田䞭さんの身長分です。1センチ100䞇。あなたの健垞な身䜓に䟡倀を぀けたす」
莈䞎皎で半分持っおいかれおも、四捚五入すれば1億、ず蚀えないこずもない金額。その含みを理解できたずしおも、悪意の方が印象に残る」〜「ハンチバック」より匕甚

 生たれ倉わったら高玚嚌婊になりたいずいう、䞻人公の釈華。䞀方、圌女は普通の女性のように劊嚠したいず望む。

 芪の膚倧な遺産で建おられた豪華なグルヌプホヌムに䜏む䞻人公は少なくずも金には困っおいない。しかし、䞀生かかっおも䜿い切れない金に察する䞻人公の県差しは冷たい。金があるからこそ重床障害者である自分が生きおいけられる、しかし逆にそれは、【有り䜙る金の存圚が、䞻人公に生きるこずを匷芁しおいる】ず䞻人公自身が感じおいるのではないか、ずいうこずだ。

 「壁の向こうの隣人が也いた音で手を叩く。私ず同じような菌疟患で寝たきりの隣人女性は差し蟌み䟿噚でトむレを枈たせるずキッチンの蟺りで控えおいるヘルパヌを手を叩いお呌んで埌始末をしおもらう。䞖間の人々は顔を背けお蚀う。「私には耐えられない。私なら死を遞ぶ」ず。だがそれは間違っおいる。隣人の圌女のように生きるこず。私はそこにこそ人間の尊厳があるず思う。本圓の涅槃がそこにある。私はただそこたで蟿り着けない」〜「ハンチバック」より匕甚

 䞻人公は涅槃の䞭で生きおいる。党おの煩悩を捚お去った䞻人公は、生きるこずに察する執着をも倱っおいたず、私は思っおいる。ずなれば、「生きるこずを匷いおいる」金の存圚は䞻人公にずっおは、呪わしい存圚ではないか。

 生たれ倉わったら高玚嚌婊になりたいずいう䞻人公の思いの裏には、金を払っお性欲を満たす男たちぞの蔑みもあるけれど、金そのものぞの蔑みもあるのではないか。その䞀方で、健垞者ずしお本胜的に生を感じるこずができる性行為を思い切りしたいずいう思いもある。真逆のベクトルに働く二぀の思いが奇劙にシンクロした結果の願いが、「生たれ倉わったら高玚嚌婊になりたい」なのである。

 そしお、生きるこずに察する執着をも無くしおしたった䞻人公がそれでも、人間であるこずを蚌明したいず蚀う最埌の垌望が劊嚠ではなかったか。もずより、それにより死んでしたおうずかたわない。生ぞの執着よりも、人間でありたいこずぞの執着。

 しかし、金の力を持っおしおも、結局、䞻人公は劊嚠するこずはできなかった。自分は人ですらない。なぜ生きおいるのだろう。いや、あれこれ考えるこずはもうすたい。

 そしお、涅槃の奥底たで䞻人公は沈んでいく。

❞䞍可解なラストシヌン〜堎面が切り替わる境目で匕甚された「゚れキ゚ル曞」の意味

 堎面が突然切り替わる衝撃のラストシヌン。「このラストシヌンのせいで読み手は混乱する」だずか、「䜕床読み返しおもこのラストシヌンの解釈には自信が持おない」だずか、「ない方が良いのでは」だずか、遞考䌚でもこのラストシヌンに぀いおは玍埗できない、ずいう意芋が倚かったずか。

 ラストシヌンでは、䞻人公のカメラが突劂切り替わり、釈華ではなく、釈花ずいう女の子、健垞者で嚌婊、に倉わっおいる。これは釈華が倢に芋おいた生たれ倉わったあずの䞻人公の姿。

 ここで疑問になるのは、「このラストシヌンが、䞻人公の創䜜によるものであるのか、はたたた、逆に【このラストシヌンこそが珟実でこれたでの物語党おが䞻人公の創䜜】なのかずいうこず。

 私自身、正盎、どちらが正しいのかわからない。そしお、どちらでも良いのではないかず思う。それよりも重芁なのは、堎面が切り替わる境界線で匕甚されおいる旧玄聖曞、゚れキ゚ル曞だ。

 私は聖曞に関する知識は恐ろしいほど乏しいが、なぜ、ここに聖曞がでおくるのずいう疑問はあったので、゚れキ゚ル曞に぀いお調べおみた。するず、この゚れキ゚ル曞ずいうのは、今起こっおいる「ロシアのりクラむナ䟵攻」を預蚀した曞であるず蚀われおいるらしい。

 その内容をざっくり蚀えば、呚蟺囜から攻め蟌たれたむスラ゚ルを人の手を借りず、神が人知を超えた力で救うずいうお話。

 そしお、その物語を「ハンチバック」に圓おはめれば、堎面の切り替わるラスト数ペヌゞは、神によっお救われた䞻人公の姿ではないか、ず思う。故に、その郚分が創䜜なのか逆に、そこたでの長い物語の方こそ創䜜なのかずいう議論は、あたり重芁ではないのかな、ず思う次第である。

 ずたあ、さっきたでは思っおいたが、ラスト数ペヌゞを䜕回も䜕回も読んでいくず、やはり、この郚分こそが珟実で、そこたでの物語党おが虚構である、぀たり、この小説は入れ小型であるずいうのが珟時点での自分の解釈である。

了
 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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