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💐「小説において風景描写は必要なのか?」❻〜木を見て森を作る描写【エキストラを描写する】



 

 「翌朝、ぼくはコーヒーとブリオッシュの朝食をとりに、サン・ミシェル大通りをスフロ通りまで歩いていった。気持ちのいい朝だった。リュクサンブール公園では、マロニエの花が真っ盛りだった。暑い日を予感させるような、早朝の爽やかさが漂っていた。コーヒーを飲みつつ新聞を読んでから、タバコをふかした。花売りの女たちが市場のほうからやってきて、一日分の花を並べにかかる。法律学校に向かう学生たちや、ソルボンヌのほうに下ってゆく学生たちが通り過ぎる。大通りは電車や勤めに向かう人たちで混雑していた」
  〜ヘミングウェイ「日はまた昇る」

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 さて、風景描写というと、自然描写だけを思い浮かべる人がいるかもしれないけれど、例えば街の様子を描写しようとした時に、無人の風景を描写してしまうと動きが死んでしまい、尚且つ不自然な描写になりかねない。

 人物描写というと、主要な登場人物だけを描写すれば良いと思うかもしれないけれど、実はそうではなく、きちんとエキストラも描写するべきだ。

 例文としてあげたのは、ヘミングウェイ。パリの朝の様子をわずか数行で描写している。ここで必要なのは、【朝のパリの街ではどんな人がどんな行動をとっているのだろうか?】と想像すること。数人のエキストラを描写することで、動きが生まれ、実に生き生きとした街の様子をイメージできる。

 エキストラを描写するという考え方は様々な箇所で応用がきく。

 描写の真意とは、動き、時間の流れを捉えることにある。

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