💐「小説において風景描写は必要なのか」❸〜五感を刺激する風景描写に細部の動きを加えて、より奥行きのある描写に
「二つの窓は開かれていて、庭園では朝の太陽が初めての蕾を温め、二、三の愛らしい鳥の囀りが明るく友を呼び合い、すがすがしい香りに満ちた春風が部屋へ吹いてきて、【ときどきカーテンがおだやかに、音もなく少し持ち上がった。】朝食の食卓の上には、ところどころに、パン屑が白いリンネルのカバーの上に散らばっていて、朝の太陽がカバーをまぶしく照らし、【臼の形のコーヒー茶碗の金塗りの上縁にまぶしくちらちらして、反転したり、跳ね飛んだりしていた】」
〜トーマス・マン「ブッデンブロークの人々(上巻)」第二部第1章より抜粋
続いて今回もトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」から。ほんと、この作品は素晴らしい風景描写の宝庫です。
視覚だけでなく、嗅覚や聴覚を組み込むことで描写は立体的になる。そしてさらに、そこに動きを加えることでより奥行きのある描写に仕上がる。
それがすなわち、「描写とは目の前にあるものを描くことではなく、無から対象物を存在させること」につながっていく。
トーマス・マンのこの描写はその良い見本だ。五感を刺激する描写に加え、カーテンと、部屋に差し込んだ陽光の動きをプラスすることにより、生き生きとした春の朝の風景描写を見事に完成させている。
さらっと読み流してしまいそうな箇所だけれど、何度もこの文章を繰り返し読むと、描写の素晴らしさに感嘆としてしまう。
小説とは創造の世界であり、創造ということはすなわち無から有を生み出すことだ。その基礎になるものが描写であり、そして、描写と簡単にいっても実に奥が深い。
しかし知ってしまえばあとはそれを応用(決して真似するとは言わない(笑))して自作に活かすのみ。ところがこれがとても難しい。でも、意識するとしないとでは全く違う。
「描写とは目の前にあるものを描くことではなく、無から対象物を創造すること」
常にそういう意識を持って書くことで、描写力は飛躍的に向上するものだと思う。