2018年中露国境旅行(4)
旅行四日目です。今日は陸路で国境を越えてロシアのウラジオストクへ向かいます。
ホテルをチェックアウトしたあと、バスターミナルへ向かうわけですが、タクシーに乗る際に、メモ帳に「乌苏里大街 国际客运站」と書いてタクシーの運ちゃんに見せて乗り込みます。ところがタクシーはそことは明らかに違う方向に進んでいきます。そして着いたところが、昨日立ち寄った綏芬河駅に隣接したバスターミナル。事情はわかりませんが、ここからも乗れるのなら良しとしましょう。
綏芬河のバスターミナルは、右半分が国内線で、左半分が国際線です。バスの切符を買うためにメモ帳に「格城」と書きます。格城とはロシア側の国境の街「グロデコボ」のことです。ここから主に出るのはグロデコボ(ポグラニチニ)行きで、ウスリースクやウラジオストク行きもあるのかもしれないのですが、場内には時刻表が見当たらないので、また一気にウラジオストクに行くのも味気ないと思ったので、国境越えだけのバスりに乗ることにします。
で、窓口で200中国元とパスポートとメモを用意して切符を購入します。切符自体は普通に買えたのですが、窓口の女性がなにやら話しかけます。もちろんクアラルンプール空港での金正男のようにVXガスによる暗殺に気をつけろ、と言っているわけではないと思いますが、中国語なのでチンプトン(わからん)です。結局わからないままその場を離れます。
待合室に移動してバスの出発を待ちます。ところがしばらくすると先ほどの切符売り場の人がやってきて荷物検査のところへ私を連れていきます。どうやらバスに乗る前に荷物検査を受けなければならない決まりのようです。ロシア人や中国人が、まるで一家の引っ越しのような大荷物の検査を受ける中で、私は所持品ナップサック1個の検査を受けるわけで、その検査の目的は保安検査のようです。しかしながらこの検査自体が意味のあるものなのか、見たところとてもそのようには思えないのですが、私は郷に入らば郷に従う日本人。羊のようにおとなしく従います。
検査は済みましたが、今度は自分が乗るバスがよくわかりません。どうやらポグラニチニ行きのバスは数台あるようです。係員の指示でしばらく待機をしたのちにバスに乗り込みます。
やがてバスは出発しました。途中ウスリー大街の国際バスターミナルの前をとおりましたが、そこは使われている様子がなかったので、こちらに移転したのでしょう。なんだかバス乗り場がころころ変わっているようです。いくら土地が国有で、しかも余っているからといってそれでいいのか。おっと、体制に対する批判はこの国最大のタブーです。ツイートはこれくらいにしておきましょう。
それほど走らないうちに国境に到着したようです。前方に中国国境に(たぶん)必ずそびえ立つ威圧的な門が見えます。いよいよ陸路越境という今回の旅最大の試練(ハイライト)に立ち向かいます。バスでのロシア入国はこれで三回目です。過去の入国では係官から濃厚な可愛がりを受けましたが、まったく懲りずに今回のチャレンジです。今回は何分でロシア入国審査をパスできるのでしょう。
中露国境をバスで越えるのは、2年前の内蒙古自治区の満洲里とザバイカリスク、1年前の吉林省の琿春とクラスキノに続いて3回目です。中国側の出入境管理事務所の手前でバスを降り中に入ります。
これまでとおってきた中露国境の中国側の事務所の建物はどこも無駄にでかく立派でした。そしてここ綏芬河もそれは同じでした。私の出国手続きに要した時間は以前より少々長めでした。滅多にとおらない日本人が現れたので、係官が判断に迷ったのか、上司らしき人物を呼び出して確認をしたうえで手続きが終わりました。係官同志、反日歴史学習もよいが、本業もしっかりやりたまえ。
大部分のバスの乗客はすんなり手続きを終えましたが、なぜか数名のロシア人、といっても中央アジア人のような容貌ですが、出国審査を通り抜けられずに立ちすくんでいます。事情は全く分かりませんが、こちらから丸見えなので、ちょっとしたさらし者状態です。だけどたぶん最終的には通過できたのではないかと思います、知らんけど。
やっとこさバスがやってきました。国境はバスに乗って越えます。バス乗り場の前方右手に文字通り「国門」というべきゲートが見え、その手前に中国側領土であることを示す石碑があり、観光客が見物しています。それらを横目にバスはロシア国境へ向けて進んでいきます。
バスはロシア国境に向かって動き始めましたが、なぜかすぐに停まってしまいました。結構長い時間フリーズしています。1年前の琿春クラスキノ国境でもこんなことがありました。車の様子を監視できるようにこの区間の通行量を制限しているのかもしれません。
バスが再び動き出しました。実際の国境をカメラに収めようとずっと外を眺めていましたが、そうしているうちにロシア側の出入境事務所に到着してしまいました。仕方ありません。ロシア入国に取り掛かることにします。
中国側の事務所がどこもご立派な建物なのに対し、ロシア側の事務所はどこも残念なくらい狭くてボロいです。ここもそうです。こういうところのトイレはできれば使いたくないものです。
モスクワの空港だと、入国審査時に係官が自分用の出入国カードにデータを打ち込み、出来上がったものにこちらが署名するという仕組みでしたが、こういうローカルな国境だと、10人分のデータ打ち込みが余裕でできそうな時間を私一人にかけ、しかしながら出入国カードはこちらで記入して提出しなければなりません。その出入国カードですが、中国人はどこで入手したのかわかりませんが、すでに記入済のものを手にしています。私はそれを持っていないので、事務所の中にそれがないか探してみますが見当たりません。困ったので、中国人の団体のガイドらしき人に尋ねてみたら、入国審査の係官に直接もらうようで、そうやって1枚入手してくれました。ロシア側の手続きは随分不親切ですが、これも外国人の入国を本音では歓迎していないソ連以来のロシアの古き良き伝統の名残なのかもしれません。これがロシアだ!Это Россия!
で、私の審査の番ですが、今回はあまり時間がかかりませんでした。もしかしたら私のような物好きの日本人が比較的よくここを利用するのかもしれません。2年前の満洲里ザバイカリスク国境では私一人の審査に優に10分以上かかり、結果的に予約済のロシアの列車に乗り遅れるという愉快なイベントが発生したことがありました。
入国審査に続く税関審査は、ナップサック1個しか荷物がないので瞬殺で終えました。以上で手続きは終わりです。出口にはバスが何台か停まっていますが、みんな同じバスに見えます。車のナンバーを確認すると、まだ自分が乗ってきたバスはまだここに着いていないようです。外で待っていると時々雨が降ってきます。空を見上げるとツバメが電線に止まっています。旅のゴールが近づいているはずなのですが、ここの景色を見上げると、なんだかロシアの田舎に放り込まれたような気分になります。私は本当にダモイ(帰国)できるのでしょうか。
バスに乗っていた乗客全員がとっくに入国手続きを済ませているはずなのですが、自分のバスはなかなか出発しません。それどころか、乗客自体があまりバスに戻ってきていません。そのうちに周りのバスはどんどん出発していってしまいました。そっちのバスに紛れ込めばよかったか。というより、もしかしたら他の乗客はそちらに移っていたのかもしれません。
バスの終点であるポグラチニチは国境から数キロのところにあります。スマホのグーグルマップを見ながら、今どこを走っているのかを確認します。実はポグラニチニがどういうところなのか情報がなくてよくわからないのです。ポグラニチニに着いたらそのままウラジオストクに向かわねばならないのですが、交通機関がどうなっているのか情報がありません。ただ「たぶんローカルバスくらいあるだろう」と、非常に楽観的に考えています。
ポグラニチニの街に入り、線路の踏切を越えました。この線路は、8年前にウラジオストクからハルビンまでの幽霊国際列車に乗ったときに通ったものです。踏切を越えてしばらくするとバスは左折していきます。しばらくすると見覚えのあるグロデコボの駅舎が見えました。そしてポグラニチニに到着しました。
終点はバスターミナルで、中国からの国際バスが数台停まっていました。実はここからが本当の試練です。理由は先ほど説明したとおりです。大丈夫だろうか。
中国人がやたら屯していますが、大部分はこれから中国へ帰る人たちのようです。国際バスは数台停まっていますが、国内バスは見当たりません。大丈夫だろうか。そもそも国際バスに乗るロシア人は何かに乗ってここへ来なければならないのですから、交通機関が何もないということはないだろうと思い込んでバスターミナル内をうろうろしていたら、切符売り場を見つけました。それによると、ウラジオストク行きはなし、ウスリースク行きはあるが2時間後。やけに本数が少ない。綏芬河方面行きの国際バスの方が本数が多いくらいです。国境通過に結構時間がかかってしまい、しかもロシアローカル時間は中国時間より2時間早いので、時刻の上ではすでに夕方手前です。このバスに乗ると、ウラジオストク到着は完全に夜です、というよりウスリースクから先のバスがない可能性もあります。
さあ、どうする?
ウラジオストクへはバスでの移動にこだわりたい気持ちも若干ありましたが、ウラジオストクへ辿り着けなくてはどうしようもありません。バスターミナルの出口付近にタクシーが1台停まっていたので、日本語で「ウスリースクに行きたい」と伝えると、その運転手は別の車の運転手にその旨を伝えました。2,500ルーブルで行くとのことです。あまり安くないがそんなものか、ということでそれで行ってもらいます。ただこれは予定外の出費で、ルーブルの持ち合わせが足らなかったのですが、バスターミナルの切符売り場にATMがあったので、そこからルーブルを引き出して支払いに充てました。
ポグラニチニからウスリースクまでは80キロくらいでしょうか。ちなみにこの車にタクシーの表示はないので、日本でいうところのいわゆる「白タク」なのかもしれませんが、もともと正規のタクシーと白タクとの区別はあまりない国(たぶん)ので気にしないことにします。ただひたすら何の特徴もない平原の中の道を進みます。舗装は良くもなく悪くもなく。
1時間ほどでウスリースクに到着しました。もしバスを選んでいたらまだポグラニチニを出発していません。しかも何時間でウスリースクに着くのかわかったものではありません。タクシーを選択して正解でした。ここまで来れば一安心です。
さて、車はウスリースクのアフトヴァグザール(バスターミナル)に到着しました。その少し前に運転手から「ここからどこに行くんだ?」と訊かれたような気がしたので「ウラジオストク」と答えたら、回答としてはズレていなかったようで、了解といった様子でした。ここからバスにすぐに乗れるかなと思っていたら、運転手は車を停めたら私を連れて歩き始めましたが、バスターミナルの中には行かず、横の駐車場に連れて行きました。どうやらウラジオストク行きの乗り合いタクシーのようです。やけに手際がいい。私としてはバスにこだわって行きたい気持ちはありましたが、乗り合いタクシーなら先ほどの車とちがってそれほど運賃はたかくないはずですし、何よりももう面倒くさくなってきましたので、流れに身を任せることにしました。
しばらくしたら車は満員となり出発しました。ウラジオストクへは約80キロ。途中渋滞はありましたが、車はやや暴走気味にハイウェイを突っ走ってウラジオストクのバスターミナルに到着しました。1年前と同じところです。ゴールまであともう少しです。
ウラジオストクのバスターミナルは、街の中心部から少し離れたところにあります。アクセス方法としては市バス、電車、タクシーがあります。一般的には市バスを使うようですが、そのバス停を探すのが煩わしいのと、1年前も電車を使っていて慣れているので、今回も電車を使います。
前回もご紹介しましたが、バスターミナルに併設されている鉄道駅「フタラヤ・レーチカ」からウラジオストクまでは3駅ですが、この区間はウラジオストクとモスクワを結ぶシベリア鉄道の末端区間で、理屈の上ではこの区間だけ利用してもシベリア鉄道を使ったことになります。ただしロシア号は停まりません。
また、駅のすぐ横はビーチですが、この時刻に泳いでいる人はいないようです。仕方がありません(何が?)。
電車がやってきました。いわゆる近郊電車(エレクトリーチカ)というもので、ロシアや旧ソ連の都市圏では旅行でなく生活の脚としての鉄道が存在します。車両は、たまに新車もありますが、大部分はソ連時代から走っていると思われる古びた同じ型の電車です。
電車はそれほどスピードを挙げずに走っていき、やがてウラジオストク駅に到着しました。車両を降りると、なぜか背後から複数の女性の中国語が聞こえてきます。旅行者なのか、出稼ぎ者なのか、移民なのか、雰囲気からして旅行者っぽいですが、近郊電車に乗って移動するとはなかなか濃い旅行をしていらっしゃる。
これで一応ゴールです。1年前とほぼ同じことをしていますが、1年前と違うのは、今年は随分湿気があって不快な気候ということです。1年前は涼しくて快適だったので、避暑のためにわざわざこんな世界の果てのようなところに来たのに当てが外れました。駅からホテルまでは100メートルもないのですが、登りの坂道なのでホテルに着くまでに随分汗をかいてしまいました。
ウラジオストクの宿はいつも「プリモーリエ(沿海州)」です。若干料金が高めですが、駅から近くて便利なのでいつもここを利用しています。
玄関に入るとエアコンが効いていて快適です。チェックインして部屋に入りました。暑いです。エアコンのスイッチを探しました。が、見当たりません。そういえばここはエアコンのないホテルだったような気がします。1年前も8年前も気候が涼しくて問題なかったのですが、今回はエアコンなしは考えられません。その代わり扇風機がありました。ここは一応ホテル代は1万円もしたんですが、それですか。早く日本に帰ろう。
ロシアでの食事は、手ごろなカフェあればいいのですが、ない場合はスーパーでの買い物で食べ物を調達します。ウラジオストク駅前には、サモサやピロシキのようなもののスタンドか、ちょっと敷居の高そうなレストランしか見当たりません。というわけで、駅前にあるスーパーへ買い出しです。
ここでロシア語、というよりロシア文字(キリル文字)講座です。写真にあるロシア語のスーパーマーケットの綴りは英語の綴りそのまんまです。
(英)SUPERMARKET
(露)СУПЕРМАРКЕТ
何が言いたいのかというと、ロシア文字はこんな程度なので、何でもロシア文字で表記してみれば1時間ほどで大方覚えてしまいます。ローマ字もそんな風に覚えませんでした?もし違ったらプーチン大統領に謝ります。ただしロシア語文法は簡単ではありませんぜ。ってロシア語話せないくせいにロシア語を語るなって自分に突っ込み。
ピラフ、肉、サラダなどの食べ物と、そしてホテルの部屋で今回の苦難の行軍の成功に対してУра!(ウラー!万歳!)をするために「バルチカ」という名のロシアビールを買いました。ちなみにレジでは、これがロシアンスタイルなのか、買い物籠をレジ台の前に置いたら、その中の品物は自分で出せとの不意打ちを喰らい、あわてて台の上に出したらバルチカビールの瓶があやうく転がりそうになり、思いっきりロシア美人(容姿だけ)に舌打ちされるという愉快なイベントもありました。これがロシアだ!Это Россия!
で、汗をかきながらホテルに帰り、部屋のテーブルの上に買ってきたものを広げたら、大事なことに気が付きました。食器がありません。1年前はスーパー内で危うく食器がないことに気が付きプラスチックのナイフとフォークのセットを買ったのですが、今回は気づきませんでした。もうそれを買うために暑い外に出る気はしません。仕方がないので、インドスタイルで食べました。手づかみです。これもロシアか?
夜が明けました。今日は日本へ帰る日です。さんざん今年の満洲や極東ロシアは暑いとつぶやいてきましたが、日本はもっと暑いのですから、文句は言わないことです、言ってるけど。
ホテルをチェックアウトし駅へ向かいます。今回は鉄道で空港へ行こうと思い、アエロエクスプレス(空港特急)専用駅に入ります。自動販売機で切符を買おうとしましたが、どうもうまくいきませんので、窓口で切符を買おうとしました。ところが窓口で「次の列車は9時ですが」と言われました。ああ、またやらかしました。昨日ウラジオストクのバスターミナル横の「フタラヤ・レーチカ」駅に掲示されている時刻表にあわせて行動していました。7時台の列車はちょっと前に出発してしまっていたわけです。アホです。しかしながらウラジオストクの達人であります私はこんな時も決して慌てません。地元民しか使わないような空港行きバスの存在を知っていますので、そのバスに乗って空港に向かいます。って、去年の使ったことがあるだけのことで何が達人でしょうか。ハラショー!
ウラジオストク空港に到着しました。私が搭乗する東京成田行きの便は予定どおり飛ぶようです。ところで、今回で56回目の海外旅行ですが、日本を出発する飛行機が遅れて自力救済したのは1年前の旅行が初めてでしたが、帰国便が飛ばなくて立ち往生したことは1回もありません(セントレアには着いたけど遅れたのでその日のうちに家に帰れなかったことは1回あります)。一度くらい帰れなくて不可抗力で旅行を延長するのも悪くないかもしれません。そのかわり職場での信頼を失いかねませんが。
空港ロビーには、やや色黒で痩せていて眼光のするどい男たちがやたら目につきます。着ている服の襟には仲良し親子のバッジが付いています。北朝鮮の同志たちです。アメリカの傀儡ども、もとい韓国人の姿も目に付きますが、なんだか違う民族といっていいくらい雰囲気が違います。少なくとも北朝鮮側にはヨン様のようなスマイリーな人はいません。ついでにいうと女性もいません。サランヘヨ。どちらのグループもお互いを避けている、というよりは存在が目に写っていないようにふるまっているように見えます。特に北のひとたちは、南の人と接触しようものなら、帰国後たちまち二度と帰ってこれないところに送り込まれてしまうでしょうから。ウリヌンハナ。
同好の同志はそうはいないか、いてもカミングアウトする勇気を持ち合わせている勇者はそうはいないと思うので、あまりしつこく言及することでオタクとかヘンタイ扱いされないようほどほどにしておきますが、海外の空港の出発便案内表示板を見るのは実に興味深いです。
例えばトルコのイスタンブールなら、イラクやサウジアラビア行きの便とか、アフガニスタンに行く便があったりします。で、ここウラジオストクだと写真のとおりですが、特徴的なのは、国際線よりも国内線の方が遠距離だったりします。写真は出発案内ですが、うち前2枚は国際線国内線両方込みで表示されています。後1枚は国際線の表示です。6時45分にヤクーツク、7時5分にユジノサハリンスク、8時にハバロフスク、8時25分にモスクワ・シェレメーチェヴォ、8時55分にノヴォシビルスク、10時35分にソウル仁川、10時40分に東京成田、12時にモスクワ・ヴヌコヴォ、といった具合です。あともう少しすると高麗航空の平壌行きの表示も出てくるでしょう。日によってはペトロパブロフスク・カムチャツキ―行きもあったりします。
別にどこ行きの飛行機があったってどうでもいいって?すみません。
成田行きのチェックインの列に並んでいたら、ふと壁に貼ってある張り紙が目に入りよく見てみると、なんとこの空港では数少ない、もしかしたら唯一の日本語表記のブツだったので、少し読んでみると、実に興味深い記述でした。もし写真を拡大して見ることができたらぜひ一読してみてください。少なくとも韓国ソウルの明洞で見かける日本語表記よりはるかにまともです。わざわざ日本語にしているぐらいなのですから、ロシア当局が日本人旅行者に対して一番知ってもらいたいのはこんなことということなのでしょう。そうですか、ナチス関係のものは一切ダメですか。とすると、日本地図を持ち込むと、お寺のマークが鉤十字(ハーケンクロイツ。ナチスのシンボル)であると誤解され没収される可能性があるから要注意ですね。
スターリン関係はまだセーフのようです。
かつて旧ソ連エリアの空港は、イリューシンやツポレフ、アントノフといった飛行機をたくさん見ることができ、その手のコアなマニアの目を楽しませてくれましたが、今や地元ロシアでもボーイング737やエアバスA320系統全盛で、すっかりフツウの空港に成り下がってしまいました。ただしそんな中でもウラジオストク空港でイリューシン76らしき物体を見ることができました。だけどアイツ、去年もあの辺に停まっていたような・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/Il-76_(航空機)
私は、自分ではあまり物欲はない方だと思っています。正確には物欲をマインドコントロールしているのかもしれません。一旦欲しがったら、なんでもかんでも買いたくなってしまう人間なので。あと、あまり荷物になるものは移動の邪魔になるというのもあります。
そういうわけで職場へのお土産も最小限なのですが、どうせ買ってくるなら「極東名物マカダミアナッツ」とか「沿海州に行ってきましたお菓子」のようなごくあるふれたブツ(実際にはありふれたものどころかそんなものは知る限り実在しませんが)ではなく、いかにもロシアっぽいものをというこだわりはありますので、しかしながら観光業についていえばどちらかというと後進国のロシアにおいては品物選びには毎度毎度苦労します。特にチョコレートは溶けてしまうので要注意です。
そのかわり、自分用には必ず写真のブツを買ってきます。アルメニアコニャックとも言われる「アララト」という銘柄のブランデーです。ソ連時代はアルメニアは自国の一部なのでモスクワとかでも売られていたようですが、最近では外国であるはずのロシアの空港でも売られるようになってきたようです。
私は海原雄山のようなグルメではありませんので、お味についての詳細な説明はできませんが、どちらかというと甘口で、場末のキャバクラのテーブルに置いてあるフリーのブランデーにありがちな舌を刺すような後味の悪さはまったくありません。これをオンザロックで飲むのが私の流儀です。最初はブランデーの味そのものを味わい、そのうちにブランデーが冷えて飲みやすくなったら溶けた氷の水で味が薄まらないうちに飲み切る、という手順です。ただ、私の家がタワーマンションの高層階にあれば、地上にいる知的水準の低い愚民どもの上に君臨するイシワラ元都知事のような気分でブランデーをたしなむという罰当たりな楽しみ方ができるのですが、あいにくただのアパートの2階の部屋なので、いつも名古屋にあるなじみのスナックやバーに持ち込んで、その場にいる皆さんとともに飲むということをしています。一人で飲んでも楽しくないですから。
そういうわけで、今回もウラジオストク空港の免税店で買ってきました。結構な荷物で重いです。だけど自分の土産のためならウチはどんな苦労も耐えてみせます!
今回搭乗する、オーロラ航空HZ3638便は、ボンバルディアDHC-8-400というちょっと聞きなれない機材を使用しています。これ、プロペラがついているのでプロペラ機なのでしょうね。1年前はS7航空を利用したが、今回はこの機材に乗ってみたかったのでこちらを選びました。
一応こういうところでの写真撮影は禁止だとは思いますが、素早くさっと飛行機を撮影しました。小さいです。まあ小さかろうが大きかろうがキチンと飛んでくれれば問題ないです。そのうちプロペラが回転しだしましたが、特に音は気になりませんでした。昔中央アジアでアントノフ24というソ連製のプロペラ機に乗ったことがありますが、あれのプロペラ音は騒音レベルの大きさでした。おまけに機材自体が古びており、ほとんど田舎のバスに乗り込んだかのような錯覚を覚えたほどです。それに比べると、このDHC-8、大変静かで物足りないくらいです。
このあとは成田空港→東京駅→豊橋駅を経て帰宅です。やはり暑いです。今回は避暑が目的だったのにずっと暑かったので、どちらかというとハズレでしたが、今年は世界中どこも暑かったらしいので仕方ないのかもしれません。来年はどこへ行こうか。第一候補は中央アジアですが、じっくり考えます。完。
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