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2015~2016年北京+丹東旅行(2)

 いよいよ今回の旅行のハイライト、平壌行きの列車に乗車。というのは半分本当だが半分嘘。
 正確には、列車自体は平壌行きだが自分が乗る車両は北朝鮮との国境の街である丹東止まりのもの。実態をより正確にいうと、丹東行きの列車に平壌行きの車両がひっついている、というべきか。
 しかしながら駅の表示では自分の乗る列車は平壌行きと表示されている。だから、私は周囲に「平壌行きの列車に乗る」と言ってきたが、これを見れば、別に私は嘘をついていたわけではないことは明らかである。ていうか、私が北朝鮮に行くわけないでしょ。私はフツウの国にしか行かないのです。イランとか、ロシアとか、カザフスタンとか、タタールスタンとか、ジョージアとか、アゼルバ(以下略)

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 これが平壌行きの車両。2両編成のようだ。昔ながらの緑皮に黄色のラインではなかった。ひょっとしたら中国のお古?乗客はまあそれなりの人数が入り口に屯していた。ホームに出る階段を降りたらちょうどこの車両と遭遇できた。おかげでホームをうろうろするような怪しいマネをせずにすんだ。

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 平壌まで行く車両は2両で、その後ろに2等座席車である「硬座車」が並び、食堂車、1等寝台車「軟臥車」、2等寝台車「硬臥車」と続く。今回自分は軟臥車を利用。一部屋に上下2段の寝台が2セットあるコンパートメントという構造。値段は結構高い。飛行機と値段が変わらないかもしれないが、宿代わりとなるので、利用価値は高い。ただ「4人用個室」なので、ルームメイトが誰になるかがちょっとした不安材料。ではあったが、夜出発朝到着の列車なので、特に何か話しかけなくても別段気まずい雰囲気にはならない。部屋には最初はお姉さんかおばさんか微妙な女性が二人、途中の天津から中年男性が一人入ってきた。本を読んでいたら眠くなってきたので、とっとと就寝。

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 丹東駅に到着。北朝鮮のビザはないので、ここで下車。乗客はみなさっさと出口へ向かうので、こっそりと平壌行きの車両に乗り込んでしまうようなマネはとてもできそうにない、しないけど。
 駅と道路をはさんでほぼ反対側にバスターミナルがある。ここで12時半に出発する大連行きの直行バスの切符を購入。続いて歩いて鴨緑江に向かう。

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 鴨緑江は霧で真っ白で、対岸が見えない。自分は何度もここに来ているので、特段がっかりということはないのだが、これが初めて来る人だったら、まさしく「金返せ!」沙汰だろう。
 今回の重要なミッションアンインポッシブルのひとつは、中国の丹東と北朝鮮の新義州を結ぶ鉄道道路兼用の中朝友誼橋を渡る国際列車を撮影することである。本当ならこれに乗って「地上の楽園」に渡りたいのだが、それはちょっと大人の事情がごにょごにょなので、ならばせめて外から眺めてみよう、というもの。とてもそのためにわざわざこんなところにまで行くなんて恥ずかしくて言えない、って言ってるか。

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 国際列車を撮影するビューポイントを確認中。私のその時の行動は、どう見てもとにかく怪しい人にしか見えなかっただろう。

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 国際列車がここを通過するのは、情報によると午前10時とのこと。まだ時間があるが、ここはとにかく寒い。時間をつぶす暖かい場所がない。9時になればいろいろどこかの観光地も開くだろうと思い、ちょうど街の反対側にある朝鮮戦争関連の「抗美援朝記念館」に行くことにする。
 タクシーを捕まえようとするが、思いのほか流しの空車のタクシーが見つからない。最初に捕まえたタクシーの運転手に行き先のメモ書きを見せるとなんと乗車拒否。なんでやと思いつつ止まれのサインを出し続ける。次に止まったタクシーには「地球の歩き方」の写真を見せて行き先を説明する。どうやらOKのようだ。タクシーに乗り込む。車の中は暖かい。さあ出発。
 ところが、タクシーは方向違いの鴨緑江沿いを走る。なんだ、遠回りしようとしているのかとその時は思った。ところがところがタクシーはずっと川沿いを走り続ける。しまいにはそのまま街を出てしまった。もしかしたら記念館は移転したのかとも思ったが、ここまで行くとさすがに違うところに行こうとしていると思わざるを得ない。ただし言葉ができないし、運転手も「間違いない」てな感じなので、こうなったら果たしてどこに連れてってくれるのか見てみようと思うようになった。
 その方角を進んでいくと中国いわく万里の長城の東の端である「虎山長城」にたどり着く。そしてやっぱりそこでタクシーは停まった。本当にやっぱりである。ここは以前にも行ったことがあるので、いまさらここで観光するつもりはない。「戻れ」と指示。運転手は何か言っているが、とにかく戻ってもらう。
 途中、知り合いのタクシーとすれ違ったのだろう。本を貸せと言われたので渡すとそのタクシーのところへ行く。数分後に戻ってきたら、まだあきらめずにどこか別のところへ行こうとしているので、日本語で「もういいから、も・ど・れ」と強調。ようやくこちらのを理解したようだ。ただ、この運転手は決してだまそうとしていたのではなく、なんとかしてこの外国人の行きたいところへ行こうとしていたのはわかった。案外皆まじめなんだけど、ちょっと残念だったということ。結局何もせずにもとのところに帰還。ちょっと高い暖房代だった。
 今日も北朝鮮間近まで行く冷やかし遊覧船は出ていないようだ。北朝鮮からトラックが渡ってくる。

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 10時よりちょっと前。ああ寒いなんて思いながら呆然としていると、突然橋の方から列車が鉄橋を渡る音が聞こえてきた。国際列車だ。予定よりも早く丹東駅を出発したようだ。完全に不意を突かれたが、なんとか動画撮影することができた。
 先頭に、よくこのを渡っているどちらの国の所属なのかわからない機関車、次に北京発の車両と同じ塗装の荷物車らしき車両、そして丹東から連結されたっぽい昔ながらの緑皮車が4両、最後に北京からの車両が2両。あやうく取り逃がすところだった。
 国際列車は濃い霧の中へ消えていった。夜の7時頃平壌に到着するらしい。

 橋の道路部分は、北朝鮮から中国へ行く車の列。観光バスも見える。どこを回ってきたのだろうか。

 北朝鮮サファリパーク遊覧船が出航する様子がなく、したがって出航後に船長に賄賂(お土産屋で売っている北朝鮮紙幣5000ウォン程度で)を渡して対岸に渡り、水爆実験を阻止するという極秘計画は極秘のまま断念。しかしながら少しでも北朝鮮に近づいてみたいので、中朝友誼橋の横にある「断橋」へ。もともと昔からあったのはこちらの方。戦前に日本が建設したものだが、朝鮮戦争時にアメリカ軍が爆撃して破壊。そしてそのまま今に至る。
 ちょっとずつ霧が晴れてきたように見えるが、これ以上ここにいても仕方ない。お土産屋で自分用の北朝鮮たばこを買ってここを撤収。北朝鮮紙幣は、いつ行ってもいいようにすでに自分の財布の中に常備しているのでもういらない。

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 丹東から高速バスで大連まで移動。所要はほぼ4時間。途中1回、お客が全然いないサービスエリアみたいなところでトイレ休憩。
 かつては、早朝に大連から丹東行きのバスに乗り込み、丹東で北朝鮮ウォッチングして最終バスで大連に帰る、ということをよくした。ところが冬は高速道路が凍結することがあるのか、朝のバスが運休になっていることがちょくちょくある。また大連に戻る最終バスが結構早く、丹東のバスターミナル前で私営の乗り合いタクシーで帰ろうとしたが、乗客が集まらず、結局割り増し料金でなんとか大連に帰還したこともあった。
 毎度毎度このルートを通るのは本当に退屈だ。景色は、冬だと収穫の終わった荒れ地ような農地、夏だとトウモロコシ畑が延々と続く。高速道路の交通量も、丹東側は全然少ない。日本だとレンホウに事業仕分けされてしまうのは間違いない。しかしながらここは社会主義国。需要があってインフラ整備されるのではなく、インフラを供給して産業資本が投下されるという計画経済。こんなところに高速道路ができるのはオカシイと思って調べてみたら、実は政府高官が地方政府から莫大なワイロをもらったからできたというみたいな重大な秘密を暴いちゃって、逆に先回りされて反政府的罪状をでっちあげられて処刑されてしまうというようなことは、この国ではごく普通のことである、んじゃないかな、知らんけど。

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 ほぼ定刻にバスは大連に到着。大連は自分にとってはホームグラウンドのような街なので「帰ってきた」ような気分。大連駅前のバスターミナルでバスを降りたら、定宿の大連日航飯店まで歩いて移動。
 天津街から再び駅前に出る。今回のミッション終了を東北餃子で祝う。ビールがうまい。そして天津街に引き返して、シシカバブ屋台で羊肉を賞味。これも楽しみの一つ。でも寒いから散歩はほどほどにしてホテルへ帰る。

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 大連日航ホテルのエントランスに堂々と掲げられているブツ。実に興味深いが、部屋で紅白歌合戦と行く年来る年を見ていたら眠くなり、現地時間の年越しを待たずに撃沈。

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 やはり満員(じゃない)御礼!完。

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