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2014年中カ国際列車+エカテリンブルク旅行(3)

 国境は通過して、今回の旅の難関をクリアしましたが、まだ安心できません。この日の深夜にロシアのエカテリンブルク行きの飛行機に乗るのですが、果たしてちゃんと飛行機は飛ぶのか。もしフライトキャンセルとなったら手の打ちようがありません。エカテリンブルクに到着したその日の昼過ぎにはモスクワに移動して、さらに日本行きの飛行機に乗り継ぐというスケジュールに時間的余裕はありません。どうしてまっすぐ東に向けて帰らないのか不思議に思うでしょうが、中央アジアから日本に帰る安価なルートを探しているうちに偶然見つけたルートです。ただ、ビシケクとエカテリンブルクが一体どういう関係なのかわかりませんが、果たしてこんな路線に利用者がどれだけいるのだろうか、乗客が少なければ平気で欠航にしたりするんじゃないか、という不安です。
 ただ、キルギスに入国した以上腹を括るしかありません。飛行機が飛ぶ時間までまだ12時間あります。さすがに今空港に行っても時間をつぶしきれません。そこで一旦街中へ行きました。

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 遠目には北朝鮮の千里馬に見えるかもしれませんが、キルギス民族の伝説上の英雄「マナス王」です。

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 8年前にも行ったことがあるビシケクですが、基本的にはアルマトイと同じような雰囲気の街です。街中に歴史的な見どころはありません。遅い昼食をとり、公園や広場で本を読んだり噴水を見ながらぼーっとしたりしました。また、無名戦士の墓(かな?)の衛兵交代の儀式はしっかりと堪能しました。

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 なんとか4時間ほど時間をつぶしましたが、もうこれ以上は無理かなと思い、空港に向かうことにしました。客待ちしているタクシーに空港までの値段をきいてみたら600ソムと言われ、ところが財布の中には400スムしか入っていませんでした。オシュバザールというところから空港行きバスが出ているということなので、時間はたっぷりありますので、バスを乗り継いで行くことにしました。
 ところが、オシュバザールに着きはしましたが空港行きの番号のバスが見つかりません。どうしようもないのでここからタクシーでも拾うかということでタクシーに値段を聞いたら、600ソムでした。なんだそれ。ここまできた意味がまったくありません。仕方がないので、両替所で余ったカザフテンゲをソムに替えてタクシーに乗り込みました。
 空港までの道を走っていると、反対側車線にやたら警官らしき者が目立ちます。スピード違反の取り締まりが厳しいのかと思ってたら、立派な車がすれ違うのが見えました。どうやら要人が空港から街に向かっていたようです。
 長いこと走ってようやく空港に到着しました。さてエカテリンブルク行きはちゃんとあるかどうか、空港に入ってモニターで確認すると、ありました!これで一安心。あとはここで時間をつぶすだけ。今何時かなと思ってスマホを取り出そうとポケットに手を入れたら、ない!スマホがありません。空港に入るときに安全検査がありましたが、その時はどうだったか。そこで落としていたら係員が気づくはずですがそんな様子はありませんでしたし、検査場に戻ってもスマホの落し物はありませんでした。としたらタクシーから降りる時にポケットから落ちたのか。8年前ビシケクで財布を落とした時もそんな状況でした。自分が乗ってきたタクシーはまだいるだろうかと思い駐車場に行ってみましたが、もう帰ったようです。
 さあどうしようか。なすべきことが思いつきませんが、とりあえず自分のスマホに電話してみよう、もし先ほどのタクシーの中にあれば、運転手が親切なら空港まで届けてくれるかもしれません。しかしながら空港内には公衆電話が見つかりません。ようやく見つけた電話はカード式でしたがカードを売っているところがありません。かといって見知らぬ他人から電話を借りる度胸もありません。残念、スマホはあきらめることにしました。スマホがなくて直接困ることはありませんが、落としたのに気付かなかったことが悔やまれてなりません。こうしてくよくよしながら飛行機の時間をひたすら待っていました。

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 スマホを落としたのは痛かったですが、ふとした拍子にそのことが頭の中に浮かんできてはくよくよしてしまうので、一旦はスマホのことは忘れるよう自分でマインドコントロールをかけました。
 自分が乗る飛行機は確かにビシケクに向かっているようでしたが、出発は1時間遅れとなりました。そうすると、エカテリンブルクに滞在できる時間も減ってしまいます。どこを回るか作戦を練り直さなければなりません。みたいところを全部回るのは無理かもしれません。
 ビシケクマナス空港はそれほど大きい空港ではありません。待ち合いスペースはそれほど広いわけではありませんので椅子は埋まりがちです。エカテリンブルクに行く人たちは結構いるみたいです。少々意外でした。うとうとしながらチェックイン開始時刻をひたすら待っていました。
 何度か意識が飛びましたが、1時頃にチェックインが始まりました。自分のパスポートを見た係員は「ロシアビザはあるか」と訊いたぐらいで、あとはごく普通のチェックインでした。

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 今回搭乗するウラルエアー(U6)ですが、深夜のフライトだったことと、乗り降りが旧ソ連圏の空港だったことから、残念ながら飛行機の写真は撮っていません。しかしながら中の様子は撮っておけばよかったと思っています。というのは、シートピッチがかなり狭いです。前の背もたれと椅子の間は足を入れるスペースですが(当たり前ですよね)、本当に足を入れるだけの間隔しかありません。自分の記憶では、中部-福岡間のANA国内線のピッチも狭かったですが、それくらいでした。ウラルエアーはLCCに近いのでしょうか(実際安かったからこういうルートとなったわけでしょうが)。だけども飛行時間は3時間なので、まあいいかといったところです。
 機内食は夕食のような内容で普通に出ました。実のところ本当に眠たかったのですが、一応食べておこうと思いしっかりと平らげました。エカテリンブルクに近くなると、外がほんの少し明るくなっているのが見えました。トータルで1時間程度は眠れたでしょうか。気分的にはほぼ徹夜状態ですが、エカテリンブルクというお初モノが待っているので、あまり眠気はありません。そうしているうちに飛行機は着陸しました。すると中で拍手が起きました。どういう意味でしょう。大昔アジアを回っているとそういうことはたまにありましたが、最近はお目にかかりません。ただ1回だけ、昔の名古屋空港に着陸する際、雲が厚くて、雲を抜けたら滑走路がすぐそこで、それにもかかわらずスマートに着陸した際は拍手が起きたことはありました。ちなみにJLです。まあ深く考えない方が良いでしょう。天気は雨のようです。空港ターミナルにいる人たちを見ていると、皆長袖を着ています。というより冬の恰好をしています。事前にそのような情報は得ていましたが、ちょっとした衝撃を受けました。
 飛行機を降りて入国審査を受けました。すんなり通れるかなと思ってたら、女性の係員は質問してきました。
「どこから来たの?」皆ビシケクから来た飛行機に乗ってきたんだからビシケクに決まってんだろと思いながら「ビシケクです。」
「ビシケクには何しに?」なんでそんなこと訊くのかと思いながら「旅行。観光です。」と答えると「観光?」と言いながら、信じられないというような表情を見せます。
「これからどうするの?」別にエカテリンブルクには用はないんだからと思いながら「午後にはモスクワに行って日本に帰る。」あまりいい答えではなかったのでしょうか、なかなか解放してくれません。なのでよせばいいのにこちらから「帰りの飛行機のチケットを見せましょうか?」と言ったら「ああ?」みたいな反応されました。結局自分には何もあやしいところはないので(よく言うよ)、係員は入国スタンプを押してパスポートを返しましたが、聞き間違いならいいのですが、いや多分聞き間違いでしょうが、返す際に小声で「スパイ」とつぶやかれたように聞こえました。さすがエカテリンブルク。旧名スベルドロフスク。ソ連時代は外国人が立ち入れない閉鎖都市(船戸与一著「緋色の時代」より)だけのことはあります。基本的に外国人は怪しいとみなす良き伝統が残っているということでしょうか。
 思わぬところで災難が降りかかってきましたが、入国してしまえばこっちのものです。さあこれからどうしよう。つづく

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