自主性を最大限に引き出すために。20240628

誰だって、自分が思いついたこと、
気づいたこと、見つけたことに挑戦したい。

誰だって、他人からコーチから言われたことに
言いなりになって、挑戦したくはない。

誰だって、自分で自分を動かしたい。
自分で選びたい。

その気持ちを大事にしなきゃいけない。
その気持こそが大きなエネルギーになるから。

自分で、自分の人生を切り開いている感覚、
それをスポーツを通じて感じて欲しい。
それこそが将来に生きると思うから。

「自分で選んだ。」
その事実が、認識が最も大事。

だからこそ、
コーチが答えを言ってしまっては、
言いなりにしてしまっては、
その機会を、貴重な経験を無くしてしまう。
(果たしてコーチが答えを知っているかは別として)

あれをしろ、
これをしろ、
これをやったらうまくいく、
あれをやったらうまくいく、

そんな前情報は、
学生の「発見に伴うやる気」みたいなものを奪ってしまう。
「選択する自由」を奪ってしまう。
未来を生き抜く力を、
そして今現在の貴重な燃料を奪ってしまう。


とはいえ、コーチとして
何も言わず、
何も注意しないわけにもいかない。
こっちだって負けないぐらいの失敗経験がある。
同じ失敗をしてほしくない。

でも事前に言うのは、
前述したように経験を奪うことかもしれない。
その矛盾をどう超えるか。

「時間」。

「まっさらな状態から気づく権利」は奪ってしまうかもしれないけど、
「思い出す権利」は学生にある。

そして「思い出す」という行為は
非常に主体的で、
非常に大きなエネルギー源になっていると思う。

「思い出す」は
本人にしかできないから。

だからこそ、「時間」。
「忘れる時間」。

「思い出す」ためには、「忘れる」ことが必要で、
忘れるために、時間がいる。
何も言わない時間。

半年とかそれぐらい前に、
たくさん伝えて、ある程度良くなる感覚を掴んでもらったら、
もう忘れてもらう。
忘れて、
もしコーチの言っていることが間違っていなければ
そして昔の自分と同じ失敗をしていれば
だいたいが不調になる、上手くいかなくなるから、
その時に学生はきっと何かを思い出す。

その日を信じる。

言われてやるだけでは、誰もが
薄味にしか理解していない。

誰もが失敗して、失敗して、
上手く行かない、どうしたら良いんだってなった時に、

その時に
「あの時こうしたな。」
という思い出、記憶があれば、

もう自分が思いついた知識みたいに、
自分の血となり実となる。

「思い出す」までの時間を。

自分自身、
5年ぐらい前に誰かに言われたことで
なぜかうっすら覚えていることを思い出して
「そういうことだったのか!!」
って思うことが多々ある。

さすがに5年経ったらインカレ終わってるけど、
その人その人の
最適なタイミングが必ずあるから、

「学生を信じて」っていう言葉はなんとなく胡散臭いけど、
「学生のタイミングを信じて」、
コーチをしていこうと思っています。

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