辺見庸 あなたはいま、なにをいちばん怖れているのか。なにを希望としているのか
あなたはいま、なにをいちばん怖れているか。なにを希望としているか・・・・・・。ある日のインタビューで若い雑誌記者からそんなことを訊かれて、いいよどんだ。話の流れからして、記者の念頭には現在の世界恐慌があったにちがいない。その帰趨に関する悲観ないし楽観を話してほしかったのだろう。しかし私はべつのことを考えていた。だいぶ間をおいてから答えた。「ことばに見はなされること。それが恐怖だ……」。記者はがっかりした顔になった。最近の記者はインタビューが想定どおりにいかないと、露骨にいらだったり失望したりする。それはどういう意味か、と記者は興味なさげに問う。意味もなにも、ことばに見はなされるとは、人間がことばにうち捨てられることだ、と私は投げやりに答えた。
では、希望はなにかと記者はたずねる。私は何年もくりかえしなぞり考えてきたことを、いちいちおのれの胸にたしかめるように話した。「ひとはことばに見はなされることがあるといったのはじつは私ではない。でも、そのような大事なことをかつて語った人物がこの国にたしかにいたということ。それが希望といえば希望だ」。大不況よりも、ことばに見はなされることのほうがよほど怖い。ひょっとしたらすでにそうなっているのではないか、と補足した。記者はもうメモをとっていなかった。その人物はだれかと問いもしない。不得要領のままインタビューは気まずく終わった。ことばに見はなされることについて口にしたことをわたしはちょっと悔やんだ。かるい虚脱感だけがのこった。
ことばに見はなされるといったのはシベリア抑留経験をもつ詩人、石原吉郎(1915-77)である。かれは失語の問題について72年に「・・・・・・ことばを私たちがうばわれるのではなく、私たちがことばから見はなされるのです。ことばの主体がすでにむなしいから、ことばの方で耐えきれずに、主体である私たちを見はなすのです」(「失語と沈黙の間)」と説いた。石原の指摘は当時もその後もくだんの話題になりはしなかったが、これを読んだ私はなぜか深手をおった。おそらく彼の感覚とはべつのところで、ことばから見かぎられているという意識をわたしが皮裏にもっていたからだろう。この意識は間欠的な痛みとなって私を襲うのだが、この痛みはこのところとくにはげしい。
ことばについてのおなじ発言のなかで詩人はおどろくべき事実をいいあてている。「いまは、人間の声はどこにもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、人の声ばかりきこえる時代です」。まるで二十一世紀現在のコミュニケーション不能を語っているようだが、七〇年代初期、自他の声がまだよくとどいていたとみなされていた時代のことである。これを、強制収容所での失語体験を下地にした石原特有の詩的レトリックにすぎないと過小評価するがわに私はくみしない。彼の述懐には、プリーモ・レーヴィらアウシュヴィッツ強制収容所からの生還者にもしばしばみられるように、過去に深くとらわれつつ未来を正確に予言するひびきのあることに注意をむけざるをえないのだ。
石原のことばは濡れた荒縄のように私の胸をしめつける。論理の不合理性が、かえって状況の視えない急所をつき、古い痛覚を刺激してくる。「日本がもっとも暗黒な時代にあってさえ、ひとすじの声は、厳として一人にとどいた」「いまはどうか。とどくまえにはやくも拡散している。民主主義は、おそらく私たちのことばを無限に拡散していくだろうと思います」。これらのことを詩人は三十七年も前、「民主主義」や「対話」がまだしも表面の新鮮味をたもっていたころに、絶対的孤立者としてとつとつと話しつづけ、重い疲労感のにじむ独言そのものの詩文をあてもなく書きのこした。ことばに見はなされるのは絶望感にひとしい。しかしそれを早くから予言していた詩人のいたことは、私にとってことばのささやかな希望なのである。
ヴァルター・ベンヤミンは「内奥の沈黙の核へむかってことばを集中的に向けてゆく場合にのみ、(ことばは)真の働きが得られるのです」「手段となったことばなどは雑草です」(マルティン・ブーバーあての書簡)と記している。政治や資本やマスメディアがことばをどこまでも安くもてあそぶとき、言葉は徐々に鬆(す)がたち、ついにはひとを見かぎる。石原吉郎はだから最後にいいすてた。「私たちがなおことばをもちつづけようと思うなら、もはや沈黙によるしかない」
辺見庸 「ことばに見はなされること 大不況下もう一つの恐怖」 2009年4月
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