ブーアスティン「幻影の時代」業界に許しがたい災禍をもたらしたもの

1902年までに、「ベストセラー」とは売れるものならなんでもというのではなくて、他の本よりはるかにぬきん出て売れる本のことをとくに指示する言葉になった。1903年頃、≪ブックマン≫は毎月取り上げる本の数を6冊にして、そのリストを「6冊のベストセラーズ」とよんだ。もちろん、それ以前にも類似のリストを時々かかげたものもあったが、定期的なやり方にしたのは≪ブックマン≫である。1911年の1月、≪パブリシャーズ・ウィークリー≫が初めて年間の販売に示された世論として「1910年のベストセラー」をかかげ、のちに、1895年から1912年までの間の資料として≪ブックマン≫のリストを使ったのは、出版業界自身の承認が与えられたようなものであった。以来、≪パブリシャーズ・ウィークリー≫≪ニューヨーク・タイムズ≫、多くの地方紙、文芸批評誌、週刊誌がそれぞれ、一般の人たちが関心を寄せるニュースとして、ベストセラーのリストを載せるようになった。近年、図書出版界の最大にして最も人気のあるニュースは、だれがどういう作品を書いているかではなくて、なにがベストセラーであるか、ということになっている。新聞、雑誌、そしてテレビのクイズがベストセラーについて人に質問する。本の世界の有名人としてベストセラーは、他の擬似イベントのもつすべてのアピールと権威をそなえているのである。

ベストセラー方式は、こうして本の世界を支配するようになった。出版界の指導者たちがこれに攻撃をしかけたこともある。O・H・チェニーは1931年の『書籍出版界の経済学的調査』のなかで、ベストセラー方式を、「業界に許しがたい災禍をもたらしたもの」と呼んでいる。しかし彼がいっているように、そうしたことが行われるのには、相当に商業的な根拠があった(また、現在も存在している)。つまり、一冊の本をベストセラにする一つの方法は、それをベストセラーとよぶことなのである。そうすると多くの潜在的な書籍購読者たちは、「その本の読者という選ばれたグループに属する何千人、あるいは何万人という人たちに自分も加わりたいと考える。自分以外の人たちはみんなそれを読んでいる、あるいは読むだろうとだれもが考えるやいなや、ベストセラーは人々の口から口に伝わり、おかげで、書店のレジスターが鳴り通しということになる。書店にはいってくる人は、ベストセラーをくれというようになる。たとえ尋ねないにしても、それがベストセラーだからということでその本を買いたくなる。書店はある本が出版される前に、確実にベストセラーになると考えると、売り切れにならないようにいつもより多くの部数を取り寄せるようになる。出版後に、ある本がベストセラーであると確信をもつと、書店はただちに追加注文をする。チェニーによると、このような書店のやり方がかなり一般化していることから、ベストセラー方式が出版界の死活を制するにいたった。


D.J.ブーアスティン 「幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実」

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