イヴァン・イリイチ「コンヴィヴィアリティとしての道具」 時間について

新しい力は、時間との新しい関係を意味した。利子をとってお金を貸すことは、社会から“自然に反する”こととみなされていた。つまり貨幣はもともと必需品を交換する手段であって、稼働して利益をもたらすことができる資本ではなかった。17世紀のうちに、教会さえもしぶしぶではあったがこの見解を棄て、キリスト教徒が資本主義的商人になったという事実を受けいれた。時間はお金のようなものになった。

――昼飯までに二、三時間ある(can have)、どうやって時間をつぶそう(spend)か・・・時間が足りない(short of)ので、委員会にそんなに時間をかける(afford to spend)わけにはいかない、時間をかけるねうち(worth)はないんだ・・・そんなことしたって時間のむだ(waste)だよ、それよりは時間節約(save )したほうがいいね・・・といったふうに。

イヴァン・イリイチ「コンヴィヴィアリティとしての道具」  

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